地名はないがバス停がある「姫宮団地」はどこなんだ問題

 ガナーズ通り(市道127号)には「姫宮団地入口」というバス停があります。付近には、大規模な住宅団地があるものの、名称は「市川パークハイツ」。「姫宮団地」はどこにあるのでしょうか。


クラナリ ※初出『クラナリ』2019年1月8日




 市川パークハイツは11階建てで、A~C棟があり、総戸数は539戸です。1980~1981年に竣工しました。
 下図のように南大野の高い人口密度には、市川パークハイツが関係しているのでしょう。
「わたしたちの市川」 P83~84より


 姫宮団地については、南大野とは逆サイドの奉免町(ほうめまち/ほうめんまち)のJR武蔵野線の線路近くに、ひめみや食堂という中華料理店があったようです(食べログによれば、住所は千葉県市川市奉免町37-18で、2016年3月に閉店)。ひめみや食堂の周辺が、姫宮団地ということのようです。バス停から遠い気もするのですが……


 奉免町については、ウィキペディアによれば鎌倉時代に常磐井殿(ときわいのみや)の姫宮(後深草上皇の皇女)が住むようになったことから、姫宮の面倒を見る代わりに幕府は村の年貢の奉納を免した、つまりは「奉免」されたことで、このような名前になったのだとか。奉免町の安楽寺は、姫宮が尼になって開山するに至ったのだそうです。

 姫宮団地の場所は、今昔マップで確認すると、昭和42年発行の地図では水田で、道路はありません。
 昭和52年発行の地図だと、道路が中途半端に伸びていて、住宅がまばらに建っています。
左が昭和52年発行の地図で、青ピンはひめみや食堂があった場所(今昔マップより)


 以上のことから、姫宮団地は奉免町で、JR武蔵野線の線路近くに昭和40年代後半頃開発された住宅団地で、バス停「姫宮団地入口」からやや離れているといえます。
 

■付記

 鎌倉時代中期の後深草上皇(1243- 1304年)についてネット検索すると、今の天皇陛下の「生前退位」と絡む話題が見つかりました。

 親が兄弟姉妹の間でえこひいきをするというのは、昔から珍しい話ではなかったのですね。その結果、親が死んだ後で争いが起こります。
 私が以前に弁護士を取材した際に、「お金がある・ないは関係なく、相続争いは起こるんですよ」と聞いたのですが、親のえこひいきが生み出す兄弟姉妹の不仲が関係するわけです。兄弟姉妹の争いを避けるため、遺言状は大事です。


 後深草上皇の父親は、第88代天皇の後嵯峨天皇。
 後深草上皇には、弟がいたそうです。後嵯峨天皇は弟のほうがかわいくて仕方がなくて、何としても天皇にしたかったようなのです。それで、「長子相続」という建前で、次のことをしました。

1 後嵯峨天皇は生前退位を行って後嵯峨上皇になり、院政を敷いたため、上の息子は4歳のときに天皇、つまり後深草天皇になった
2 その14年後、強制的に後深草天皇に天皇を譲らせて後深草上皇にし、弟を天皇、つまり亀山天皇にした
3 後嵯峨天皇の死後、後深草上皇の系譜は「持明院統」、亀山天皇の系譜は「大覚寺統」になって皇位継承で対立
4 大覚寺統の後醍醐天皇が武士の力を結集して鎌倉幕府を倒し、南北朝時代が始まる

 こうした過去の反省をもとに、皇室典範は天皇が譲位などして生前に退位することは認められていないようです。

■主な参考資料

「南北朝」を避けるため?現代に「上皇」がいない理由 NEWSポストセブン
https://www.news-postseven.com/archives/20160924_451349.html

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