市川駅南エリア>市川駅南口アーケード街を巡る時間旅行(2024年8月14日更新まで)
■市川駅南口再開発までの歴史年表 ※2024年8月14日以降に更新したデータについては会員限定サイト参照
1894(明治27)年 総武鉄道市川駅ができる(このときには南口はない)
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『松井天山の鳥瞰図と市川市域 市制施行80周年記念平成26年度企画展』より |
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『カメラが撮らえた 千葉県の昭和』(『歴史読本』編集部 中経出版)より 一部改変 |
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1944~1954年の市川駅南側(今昔マップ) |
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1957/03/29(昭32)の航空写真 地図・空中写真閲覧サービスより |
1958(昭和33)年に撮影された市川駅南口 |
1959(昭和34)年12月 国鉄市川駅に南口の改札口ができる(市川の都市計画より)
1963 (昭和38)年11月 市川毛織株式会社(東京毛布株式会社)本社を千葉県市川市から東京都文京区に移転
1964(昭和39)年 国鉄市川駅 貨物の取り扱いを廃止
1964(昭和39)年 宝酒造 王子工場と市川工場を集約し、松戸工場へ→南口アーケード商店街、市川パークハウス[1980年(昭和55年)竣工]
※当時は芋焼酎のにおいがしていたらしい
※当時は芋焼酎のにおいがしていたらしい
1969(昭和44)年5月 国鉄市川駅 高架化・複々線化
→北越製紙市川工場(現北越コーポレーション関東工場市川工務部)への専用側線を廃止
1972(昭和47)年 現在の高架駅として開業(JR東日本の情報)、駅ビル「シャポー市川」が開業
1976(昭和51)年 市川駅南口アーケード街ができる(アーケードの設置)
→火災が起こるが、狭くて消防車が入れない事態に。消防車や救急車などがスムーズに入ってこられるような、駅前ロータリーを作ることが課題に
今も町中に残る、南口アーケード街のお店の看板 |
1977(昭和52)~1997(平成9)年 高橋国雄市長
1977(昭和52)年 市川サンハイツ竣工、東京精鍛工所 機械部門 千葉市川塩浜に移転→駅南公民館、大洲小学校[1979年(昭和54年)開校]
1980(昭和55)年 市川駅南口地区市街地再開発等調査
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『カメラが撮らえた 千葉県の昭和』(『歴史読本』編集部 中経出版)より |
1987(昭和62)年 国鉄分割民営化に伴い、市川駅がJR東日本の駅になる
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1989/10/20(平1)の航空写真 地図・空中写真閲覧サービスより |
1990(昭和63)年 市道0119号線の一部に「ゆうゆうロード」という名称がつけられる
1991(平成3)年 佐藤尚美さんが再開発の担当者になる
1993(平成5)年 都市計画決定(主要用途を商業・業務とする)
→1991年から1993年にかけてのバブル崩壊で、1995年には住宅金融専門会社が破綻
1993年10月17日 ライブハウス市川CLUBGIOで、GLAYのメンバーがX JAPANのYOSHIKIに会う→1994年にメジャーデビュー
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化粧が……当時のGLAYはこのような感じだったのかと…… |
1995(平成7)年 社会経済状況の変化により施設計画の見直しに着手
1997(平成9)~2009(平成21)年 千葉光行市長
2000(平成12)年 都市計画変更(住宅を中心とした施設計画とする)
2002(平成14)年2月 事業計画決定
2002(平成14)年5月 権利者要望により施設計画の見直しを検討
2003(平成15)年2月 都市計画変更
2003(平成15)年3月 事業計画変更
2003(平成15)年2月 都市計画変更
2003(平成15)年3月 事業計画変更
2003(平成15)年4月 権利変換計画縦覧
2003(平成15)年10月 事業計画変更
2003(平成15)年10月 権利変換計画再縦覧
2003(平成15)年12月 権利変換計画認可
2003(平成15)年10月 権利変換計画再縦覧
2003(平成15)年12月 権利変換計画認可
2003(平成15)年12月31日 ライブハウス市川CLUBGIO閉店
2004(平成16)年2月 権利変換期日(20日)
2004(平成16)年2月 90条登記(従前の土地の表題部の登記の抹消及び新たな土地の表題登記)
2004(平成16)年度 土地建物の明け渡し 特定建築者公募
2005(平成17)年8月4日 I-linkタウンいちかわ ザ タワーズ ウエスト プレミアレジデンス(仮称:市川駅南口A街区タワー) 起工式挙行
2005(平成17)年8月 I-linkタウンいちかわ ザ・タワーズ イースト着工
2005(平成17)年10月 I-linkタウンいちかわ ザ タワーズ ウエスト プレミアレジデンス着工
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2020年9月7日にweb『クラナリ』で始まった「市川駅南口アーケード街を巡る時間旅行」シリーズ。
市川駅南口地区市街地再開発事業(以下、南口再開発)で消えた市川駅南口アーケード街について、本やネット、口コミなどで情報を集めて、年表にまとめました。「昔ながらの商店街」を礼賛しているわけでも、南口再開発の是非を問うものではなく、「時代とともに、町・暮らし・生業はどのように変わっていったのか」を追っています。
2004年頃まで存在した市川駅南口アーケード街は、市川駅北口のヤミ市の影響で生まれたと推測し、ヤミ市から発展した商店街についてまとめたのが、第2回。
また、ハイタウン塩浜など「団地商店街」と比較したのが、第4回です。
日本各地に現存するアーケード商店街の歴史については、第3回でまとめました。
私たちは「昔はよかった」と口にしがちですが、果たして「市川駅前再開発で人がいなくなった」のかどうかを、第5~8、10、16回で検討しています。
地元の人からは「市川駅南口アーケード街があった頃のほうが活気があったと聞いていたものの、『日本の特別地域 特別編集28 これでいいのか 千葉県 葛南』(マイクロマガジン社、2011年発行)には、次のように書かれていました。
市川駅南口には鉄筋不足で話題となった高層タワーマンションが2008年と2009年に完成したが、それまでは駅前とは思えないほどの寂れ方で、小さなアーケードや飲食店、パチンコ屋があるだけだった。
このギャップが非常に興味深く、さまざまな人に「市川駅前再開発で人がいなくなった」のかどうかを聞きたいと考えていました。
「市川駅南口アーケード街を巡る時間旅行」はたった1枚の年表ですが、これをきっかけに、これからの商店街やコミュニティのあり方に思いを馳せてもらえたらと考えています。
■シリーズ「市川駅南口アーケード街を巡る旅」
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