市川駅南口アーケード街クロニクル(2026年3月19日タイトル変更、2026年3月25日更新)


JR市川駅南口ロータリーのガス燈


 南口アーケード街は、かつてJR市川駅南側の、I-linkタウンいちかわ ザ タワーズ ウエストが建つ場所にあり、再開発事業で消えました。また、「アーケードショッピングセンター」「ショッピングロード」などと、名称が何度か変わっています。

 2005(平成17)年まで存在した南口アーケード街の話題を中心に、市川駅南口の街並み、そして暮らしと生業の変化をたどっていくのが、「市川駅南口アーケード街クロニクル(旧:市川駅南口アーケード街を巡る時間旅行)」です。これまでに資料を探したり、町の人に尋ねたりして、情報を集めてきました。「市川駅南口には、人力車のおじいさんがいたのよ」という話もありました。

 目的は、集めること・まとめること・整理すること。

 現在、GoogleフォトやSNSで写真などの資料を募集しています。写真については、撮影者の名前かパブリックドメインであるか、そして撮影日時と撮影したものを記載してください。写真の著作権は撮影者に帰属します。

Googleフォト 写真共有アルバム「市川駅南口アーケード街クロニクル」

https://photos.app.goo.gl/B97kfwdXutmXTfdAA

 パソコンの場合は、写真データをドラッグしてアルバムに追加できます。その後、写真をクリックすると以下の画像になるので、「情報」の項目で何を撮影したのかなど説明を追加してください。


 スマホ(アンドロイド)の場合は、上のQRコードを読み込むと、Googleフォトが開きます。「共有」をタップして、開いた画面の「+アルバムに追加」をタップ。するとアルバムに写真データが追加されます。
 アルバムの写真をタップすると、右上に3つの点が現れるので、ここをタップ。出てきた一番上の「概要」をタップして、何を撮影したのかなど説明を追加してください。


 そして、将来にわたって誰でも見られるように、ネット上で年表を更新しているところです。

 

市川駅南口再開発までの歴史年表 

※間違いがあれば指摘してください


明治~昭和初期 草むら・田んぼから工場へ

1894(明治27)年 総武鉄道市川駅ができる(このときには南口はない)

1918 (大正7)年 市川駅の南側に東京毛布株式会社が設立される(1942年に日本フエルト株式会社と合併し、日本フエルト株式会社市川工場に)

1923(大正12)年に関東大震災が発生。


松井天山「千葉縣市川町鳥瞰」

1928(昭和3)年に発行された松井天山の「千葉縣市川町鳥瞰」を見ると、田んぼと草むらが広がっていたようで横線で省略されている。


1926 (大正15)年 宝酒造市川工場が設立か(※宝酒造の生産体制が完成から拡大した年)

 当時は芋焼酎のにおいがしていたらしい。



松井天山「千葉縣市川町鳥瞰」 一部改変


『カメラが撮らえた 千葉県の昭和』(『歴史読本』編集部 中経出版)より 一部改変

1947(昭和22)年発行の地図での市川駅南側(今昔マップ


1957/03/29(昭32)の航空写真 地図・空中写真閲覧サービスより


1927(昭和2)年 葛飾瓦斯株式会社設立

1927(昭和2)年に昭和金融恐慌、1930(昭和5)年に昭和恐慌が発生。


1928(昭和3)年 葛飾瓦斯株式会社市川工場が操業を開始(石炭で都市ガスを製造)

1933(昭和8)年 国鉄市川駅の南側に、国鉄引込線として、北越製紙市川工場(現北越コーポレーション関東工場市川工務部)の専用側線が敷設される
市川駅と北越製紙市川工場の専用側線(叡智ヒストリア〈著作権不明〉より)

1939(昭和14)年から1945(昭和20)年まで第二次世界大戦

1940(昭和15)年頃の市川駅周辺(左は今昔マップより、右は空中写真で国土地理院地図より)


1949(昭和24)年 市川毛織株式会社が、日本フエルト株式会社から分離設立


1958(昭和33)年に撮影されたとされている市川駅南口(市川の都市計画では翌年)

1956(昭和31)年 東京電気化学工業(後のTDK)が市川工場を新設
1965(昭和40)年頃に撮影された、市川駅南口の南西にあった東京化学電気工業の工場(提供/市川歴史博物館『市川市の昭和』いき出版)


1959(昭和34)年12月 国鉄市川駅に南口の改札口ができる(市川の都市計画より)





1962(昭和37)年に撮影された宝酒造の「タカラサイダー市川工場」(写真/長谷川明 『市川市の昭和』いき出版)

1963 (昭和38)年 市川毛織株式会社本社を千葉県市川市から東京都文京区に移転

1964(昭和39)年 国鉄市川駅 貨物の取り扱いを廃止

1964(昭和39)年 宝酒造 王子工場と市川工場を集約し、松戸工場へ→市川パークハウス[1980年(昭和55年)竣工]




1969(昭和44)年5月 国鉄市川駅 高架化・複々線化
→北越製紙市川工場(現北越コーポレーション関東工場市川工務部)への専用側線を廃止


高度成長期 商店街の発達

1970(昭和45)年5月 北越製紙市川工場(現北越コーポレーション関東工場市川工務部)への専用側線があった道が、北越製紙から市川市に売却され市道になる

1970(昭和45)年に撮影された市川駅南口(所蔵/馬場達二 提供/市川写真家協会 『市川市の昭和』いき出版)

1970(昭和45)年に撮影された市川駅南口から見た南側の風景に「バーメトロ」(所蔵/馬場達二 提供/市川写真家協会 『市川市の昭和』いき出版)

1970(昭和45)年に撮影された市川駅南口から見た南側の風景(所蔵/馬場達二 提供/市川写真家協会 『市川市の昭和』いき出版)


1972(昭和47)年 現在の高架駅として開業(JR東日本の情報)、駅ビル「シャポー市川」が開業

 1973(昭和48)年と1979(昭和54)年にオイルショックが起こる。


1976(昭和51)年 市川駅南口アーケード街ができる(商店街にアーケードを設置)

→火災が起こるが、狭くて消防車が入れない事態に。消防車や救急車などがスムーズに入ってこられるような、駅前ロータリーを作ることが課題に

今も町中に残る、南口アーケード街のお店の看板



1977(昭和52)~1997(平成9)年 高橋国雄市長

1977(昭和52)年 市川サンハイツ竣工、東京精鍛工所 機械部門 千葉市川塩浜に移転→駅南公民館、大洲小学校[1979年(昭和54年)開校]
1977年(昭和52年)に竣工した市川サンハイツ


昭和中期 市川駅南口地区再開発へ

1980(昭和55)年 市川駅南口地区市街地再開発等調査(再開発の施行者は市川市)
『カメラが撮らえた 千葉県の昭和』(『歴史読本』編集部 中経出版)より、一部改変

1987(昭和62)年 国鉄分割民営化に伴い、市川駅がJR東日本の駅になる

1989/10/20(平1)の航空写真 地図・空中写真閲覧サービスより

1990昭和63)年 市道0119号線の一部に「ゆうゆうロード」という名称がつけられる

1991(平成3)年 市川市職員の佐藤尚美さんが再開発の担当者になる

平成 バブル崩壊と再開発見直し

1993(平成5)年 都市計画決定(主要用途を商業・業務とする)

 1991(平成3)年から1993(平成5)年にかけてのバブル崩壊で、1995(平成7)年には住宅金融専門会社が破綻。

1993年10月17日 ライブハウス市川CLUBGIOで、GLAYのメンバーがX JAPANのYOSHIKIに会う→1994年にメジャーデビュー

化粧が……当時のGLAYはこのような感じだったのかと……

 JR市川駅の南口広場。駅前ビルの地下にあるライブハウスでコンサートのある日、広場や商店街のあちこちでカラフルなコスチュームで着飾った若い娘の集団が出現する光景を見受ける事がある。

『市川まちかど博物館』(いちかわ・まち研究会 株式会社エピック)


1995(平成7)年 社会経済状況の変化により施設計画の見直しに着手

1997(平成9)~2009(平成21)年 千葉光行市長

1990~2003年頃の周辺図
1998~2005年の市川駅南側の地理院地図

1993年頃の周辺図(市川都市計画市川駅南口地区地区計画より)


1998(平成10)年 日本毛織株式会社(2005年に商号をイチカワ株式会社に変更)市川工場閉鎖

2000(平成12)年3月 明治乳業 市川工場閉鎖→大洲防災公園、市川市急病診療・ふれあいセンター大洲商店街に影響

2000(平成12)年 都市計画変更(住宅を中心とした施設計画とする)
市川駅南口地区第一種市街地再開発事業 より


2002(平成14)年2月 事業計画決定
2002(平成14)年5月 権利者要望により施設計画の見直しを検討
黎明期のいちかわTMO講座2.土居浩章.pdfより


2003(平成15)年2月 都市計画変更

2003(平成15)年3月 事業計画変更

2003(平成15)年4月 権利変換計画縦覧

2003(平成15)年10月 事業計画変更

2003(平成15)年10月 権利変換計画再縦覧
 のべ182 人が権利変換計画を縦覧。

2003(平成15)年12月 権利変換計画認可
 総会で承認を得た後、関係者の同意を得て千葉県に認可申請し、千葉県が内容を審査・認可。転出者への補償金の支払いや代替地の紹介などが開始。

2003(平成15)年12月31日 ライブハウス市川CLUBGIO閉店

写真提供/mechvo

上の写真は、市川CLUBGIOのBACK STAGE PASS。

2004(平成16)年1月22日    仮設店舗等に関する説明会

2004(平成16)年2月    補償交渉開始
 仮設店舗用地に該当する人から交渉を開始。

2004(平成16)年2月20日 権利変換期日

2004(平成16)年2月 90条登記(従前の土地の表題部の登記の抹消及び新たな土地の表題登記)

2004(平成16)年度 土地建物の明け渡し 特定建築者公募

2004(平成16)年3月4日    第2回仮設店舗説明会

2004(平成16)年10月15日    在庫品処分スペース貸し出し
 アーケード入口の駅前広場に面した空店舗を在庫品販売スペースとして提供。 

2005(平成17)年3月 特定建築者決定
A街区(I-linkタウンいちかわ ザ タワーズ ウエスト プレミアレジデンス):三井不動産・野村不動産・清水建設特定建築者共同体
B街区( I-linkタウンいちかわ ザ・タワーズ イースト):大成建設・奥村組特定建築者共同体

2005(平成17)年4月5日 アーケード街の取り壊し工事開始

2005(平成17)年6月22日 仮設店舗1号棟(旧メトロビル)で出店者の自衛消防訓練

2005(平成17)年7月27日 権利者への説明会
 市川駅南口地区の街づくりコンセプトやデザインコンセプト、今後の全体スケジュールなどについて、説明が行われました。

2005(平成17)年8月4日  市川駅南口A街区タワー(I-linkタウンいちかわ ザ タワーズ ウエスト プレミアレジデンス) 起工式挙行

2005(平成17)年8月 市川駅南口B街区タワー( I-linkタウンいちかわ ザ・タワーズ イースト)着工

2005(平成17)年10月 市川駅南口A街区タワー(I-linkタウンいちかわ ザ タワーズ ウエスト プレミアレジデンス)着工


2005(平成17)年10月 市川駅南口地区の名前を一般公募し「I-linkタウンいちかわ」が選定
「I」には、私の「I」、市川市の「I」、出会いの「I」、愛するの「I」の意味が込められており、私(市民)、市川市、そして様々な人々が「駅前」で出会い、交流(link)し、市川の自然・歴史・文化を継承しながら暮らす、皆様から愛される街を目指していきます。

https://www.city.ichikawa.lg.jp/eco04/1111000055.html 


2006(平成18)年9月29日・10月12日 公募についての説明会
 商業施設の区画のうち A 街区の保留床 1区画(約 1,600 ㎡)を公募により売却。

2006(平成18)年 京葉瓦斯株式会社が東京電力から天然ガスの供給を受けることになり市川工場の操業を停止後、正式に廃止

2007(平成19)年10月    I-linkタウンいちかわ ザ タワーズ ウエスト プレミアレジデンスで鉄筋不足問題が発覚

 10月11日、25階から30階までの柱で、22本の鉄筋が必要な柱に、10本しか鉄筋を入れていないことが、日本建築センターの現場検査で発見され、建て主の清水建設JVに知らせたことで問題が表面化(後に補強工事)。

2008(平成20)年7月 I-linkタウンいちかわ ザ・タワーズ イースト竣工

2008(平成20)年 京葉瓦斯株式会社市川工場の地上部の設備撤去が完了

2008(平成20)年10月 老人福祉住宅・賃貸住宅入居開始

2008(平成20)年12月 行政サービスセンターなどがオープン

→2008(平成20)年9月15日にリーマン・ブラザーズ・ホールディングスが破綻→リーマン・ショック

2009(平成21)年1月  I-linkタウンいちかわ ザ タワーズ ウエスト プレミアレジデンス竣工

2009(平成21)年2月  分譲住宅入居

2009(平成21)年4月  保育園・図書館オープン

2009(平成21)年12月~ 2017年12月 大久保 博市長

2010(平成22)年3月  駅前広場で街開き(事業の完成)



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 2020年9月7日にwebマガジン『クラナリ』で始まった「市川駅南口アーケード街を巡る時間旅行」シリーズ。

 市川駅南口地区市街地再開発事業(以下、南口再開発)で消えた市川駅南口アーケード街について、本やネット、口コミなどで情報を集めて、年表にまとめました。「昔ながらの商店街」を礼賛しているわけでも、南口再開発の是非を問うものではなく、「時代とともに、町・暮らし・生業はどのように変わっていったのか」を追っています。

 2004年頃まで存在した市川駅南口アーケード街は、市川駅北口のヤミ市の影響で生まれたと推測し、ヤミ市から発展した商店街についてまとめたのが、第2回。
 また、ハイタウン塩浜など「団地商店街」と比較したのが、第4回です。


 日本各地に現存するアーケード商店街の歴史については、第3回でまとめました。


 私たちは「昔はよかった」と口にしがちですが、果たして「市川駅前再開発で人がいなくなった」のかどうかを、第5~8、10、16回で検討しています。


 地元の人からは「市川駅南口アーケード街があった頃のほうが活気があったと聞いていたものの、『日本の特別地域 特別編集28 これでいいのか 千葉県 葛南』(マイクロマガジン社、2011年発行)には、次のように書かれていました。
市川駅南口には鉄筋不足で話題となった高層タワーマンションが2008年と2009年に完成したが、それまでは駅前とは思えないほどの寂れ方で、小さなアーケードや飲食店、パチンコ屋があるだけだった。
 このギャップが非常に興味深く、さまざまな人に「市川駅前再開発で人がいなくなった」のかどうかを聞きたいと考えていました。

 また、再開発事業後の数年、少なくとも2012年までは、再開発ビルにテナントが入らず、閑散として、コンクリートむき出しのスケルトン状態の空き店舗が多かったことから、やはり、駅前とは思えないほどの寂れ方でした。

■参考資料


 2026年3月現在、首都圏での再開発が迷走しています。
 閉館後にカビだらけになっても壊すに壊せない中野サンプラザ、営業を再開した五反田TOCビル、2028年度に暫定再開と報じられた習志野市文化ホール……

 日本の人口減少については、1974年に出された戦後2回目の「人口白書」で予測されていました。また、タワマンありきの再開発には無理があると指摘していた人たちもいました。
 現在の再開発の中止や見直しなどは、建築工事費の高騰が主な原因ですが、人口減少時代に身の丈に合ったまちづくりを検討するタイミングなのかもしれません。

  東京都の人口については、全体では2030(令和12)年に、区部は2035(令和17)年にピークが来ると推測されています。
 隣の千葉県市川市は、2025(令和7)年頃にピークが来るという予測が、マスタープランに書かれていました。
都市計画マスタープランより


 「市川駅南口アーケード街を巡る時間旅行」はたった1枚の年表ですが、これをきっかけに、これからの商店街やコミュニティのあり方に思いを馳せてもらえたらと考えています。

■主な参考資料

『月刊いちかわ』2014年6月号(株式会社エピック)

振興ちば
http://www.chisinkyo.or.jp/pdf/201306/p15_p16_out.pdf



市川市 大洲防災公園について

株式会社セイタン

「農民」記事データベース990712-412-01

日本食糧新聞

『市川まちかど博物館』(いちかわ・まち研究会 株式会社エピック)
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