腸内細菌の世界的研究者の光岡知足博士と、腸内細菌学の歩み
地球上で最も繁栄している生命体は、人間ではなく細菌です。細菌はあらゆる環境に適応して生息しています。
人間の体についても、皮膚や口の中、腸などに細菌がすんでいます。
腸にすんでいる細菌は「腸内細菌叢(腸内フローラ、マイクロバイオーム)」と呼ばれています。成人では40兆個以上の数千種の細菌で腸内細菌叢が構成され、消化を助けたり、ビタミンなどを作り出したりして共生しているのです。
今回は、市川をこよなく愛した光岡知足博士が確立に貢献した腸内細菌学について、研究の歩みをざっくり追ってみました。
細菌のサイズは1~10μ(μ=1000分の1㎜)程度なので、肉眼では捉えられません。そこで、顕微鏡を使って、数百倍から1000倍に拡大して観察することになります。
1670年代に、オランダの商人(衣類販売)で科学者でもあるアントニ・ファン・レーウェンフックは、いわゆる「観察マニア」で、自作の顕微鏡で身の回りのものを観察していました。そして顕微鏡で見えた物体を「微小動物」と名づけたことから、「微生物の父」と呼ばれています。レーウェンフックは人間の便を観察して、多数の細菌を発見しました。
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| レーウェンフックが歯垢を顕微鏡で観察した際のスケッチ(レーウェンフックの微生物観察記録より) |
1884年には、デンマークの細菌学者・病理学者・医師であるハンス・クリスチャン・ヨアキム・グラムが、細胞壁の構造の違いによって分類する「グラム染色」を発表。青紫色に染まるものがグラム陽性、赤色に染まるものがグラム陰性となります。
グラム染色についての詳細は、以下を参照してください。
○グラム陽性菌と陰性菌の違いー概略の理解
細菌について本格的な研究が始まったのは、フランスの生化学者・細菌学者のルイ・パスツールが低温殺菌法(パスチャライゼーション)を、さらに、ドイツの医師・細菌学者ロベルト・コッホが純粋培養法を考案してからです。この2人は「近代細菌学の開祖」とされています。
低温殺菌法(パスチャライゼーション)とは、ワインの風味を落とさない程度の温度、55〜60度で湯煎し、微生物を殺菌させる方法です。
また、純粋培養法は、ゼラチンに肉汁などを混ぜた固形培地を用いて、1種類の細菌だけを増殖させます。
それから、1861年にパスツールがブチル菌(Vibrio bu-tyrique)を発見し、これが嫌気性菌(酸素がある環境下では生存できない細菌)の最初の発見とされています。ただ、後述しますが、レーウェンフックも嫌気性菌を「見ていた」可能性が示されています。
1887年には、フランスのパリに、パスツール研究所が開設されました。ここで1899年に、ビフィズス菌が発見されます。
パスツール研究所附属病院で小児科医として働いていたアンリ・ティシエが子どもの便からビフィズス菌を分離しました。また、ティシエは、食事治療にビフィズス菌の培養液を処方していたとのこと。
| パスツール研究所(現在は博物館、Wikipediaより) |
腸内細菌の研究とはいいにくいのですが、日本の微生物学者の北里柴三郎はドイツに留学して、1886~1892年にコッホが在籍するベルリン大学の研究室で学びました。帰国して、1894年に香港での流行病を調べるために現地に派遣され、ペスト菌を発見。そして北里研究所を創設したのは1914年のことです。
1900年には、オーストリアの小児科医のエルンスト・モローが、母乳で育てられた乳児の便に、ビフィズス菌とは異なる種類の乳酸桿菌を発見しました。この菌をBacillus acidophilus(酸を好む桿菌)と名付けました。現在の学名ではラクトバチルス・アシドフィルス(Lactobacillus acidophilus)となっています。モローは、この菌をはじめとする腸内常在菌が、外部から侵入する病原菌などに対して防御的な役割を果たしているのではないかと考えていました。
ちなみに、モローは、モロー反射の発見者として知られています。
「微生物の父」と呼ばれたレーウェンフックの研究については、オランダの微生物学者であるマルティヌス・ベイエリンクが追試を行い、最初の嫌気性細菌の観察だろうと推定しています。ベイエリンクは1905年にレーウェンフック・メダル(オランダ科学アカデミーが授与する微生物学の賞)を受賞しています。
免疫の研究で有名なロシアの微生物学者・動物学者のイリヤ・イリイチ・メチニコフが、1888年にパスツールに招かれて、パスツール研究所に移ります。
ここで盛んに行われていた腸内細菌の研究に、メチニコフは興味を抱きました。晩年に老化に関する研究を行い、大腸内の細菌が作り出す腐敗物質が老化の原因という説を提唱しました。
1905年、スイスのジェネーブ大学のブルガリア人留学生スタメン・グリゴロフが、母国から持ってきたヨーグルトから発見した3種類の乳酸菌に関する論文を発表しました。
メチニコフは、グリゴロフの論文をもとに乳酸菌の研究を進め、ブルガリアのヨーグルトに含まれる桿菌を「ブルガリア菌」と名づけました。また、それが長寿につながる可能性が高いものとして、「不老長寿説」を発表。
1907年にメチニコフが発表した著書『楽観主義者のエッセー』(英語版は“The Prolongation of Life”)は、「“プロバイオティクス(Probiotics)”、すなわち『健康のために摂取する微生物』の概念が誕生したとみることができる」と光岡博士は述べています。
1916年にドイツ人研究者のアルフレッド・ニッスルは、培養している便の中にサルモネラ菌 の増殖を抑制する働きのある大腸菌を発見し、その働きを拮抗作用(“antagonistic activity”) として発表しました。
第一次世界大戦中の1917年には、ドイツ軍兵士の便から、抗菌活性の非常に強い血清型 O6:K5:H1 の大腸菌を分離します(後にニッスル1917株と命名)。
オスマン帝国出身の医師で実業家のイサーク(アイザック・カラソー)・カラッソは、メチニコフの研究に影響を受けて、当時スペインで広がっていた小児感染症の治療・予防を期待して、1919年にヨーグルトの販売を開始しました。食品ではなく、薬局で医薬品として売っていたようです。
1922年に、アメリカの細菌学者のレオ・フレデリック・レトガーとチェプリン(H.A. Cheplin)は、低温殺菌した牛乳の中の純粋なBacillus acidophilus(現在はアシドフィルス菌Lactobacillus acidophilus)培養物に「アシドフィルスミルク」と名前をつけました。第二次世界大戦の負傷兵の健康回復に、アシドフィルスミルクが使われたとのこと。
1934年には、ドイツの細菌学者ヴィルヘルム・ヘネバーグが、アシドフィルス菌を用いた発酵乳製品(Reformjoghurt)を提唱しました。
1935年にアメリカの研究者であるエッガースとガニョンが、成人の腸内には嫌気性菌が多数存在すると報告。
1950~1960年代になると、ヨーロッパや日本、アメリカの研究機関で、数多くの研究者が腸内細菌の研究を始めました。
1954年には、パスツール研究所の紀要に「ジフテリア菌に対する様々な非病原性コリネバクテリアの抗生物質およびプロバイオティクス活性に関する研究」が掲載されていました。
プロバイオティクス(probiotics)は、有害な病原性細菌を抑制する抗生物質(antibiotics、アンチバイオティクス)に対して考案され、「共生」を意味するprobiosisが語源です。
この時期に腸内細菌叢(腸内フローラ)の研究を始めたのが、光岡博士です。
1950 年代には腸内細菌叢の存在は認識されていたものの、「腸内細菌叢の研究をやって何か意味があるのか」といわれていたそうです。光岡博士が東京大学の大学院に進学した当時、指導教官の越智勇一博士に「ニワトリの腸内細菌叢に関する研究」というテーマを与えられました。研究では嫌気性菌用の新しい培地( BL 培地)を考案。また、当時は乳幼児の菌と考えられていたビフィズス菌が成人の腸内にも優勢菌として生息していること、そして成人のビフィズス菌は乳幼児の菌とは異なるものであることを発見しましたた。
光岡博士は1958 年に理化学研究所に入所後、ヒナの腸内フローラが 28 日齢頃に完成することを発見。
1964 ~1966 年にドイツのベルリン自由大学に留学し、多くの新たな菌種を提案しました。その後、国際 Lactobacillus・Bifidobacterium 分類・命名委員会ならびに国際グラム陰性嫌気性桿菌分類・命名委員会の委員として国際的に活躍します。
1966 年にドイツから帰国。「腸内細菌叢と宿主の関係」を提唱しました。
1970年代初頭に「腸内細菌にはよい働きをする善玉菌もあれば、悪い働きをする悪玉菌もある」と発表すると、多くの細菌学者から批判を受けました。
現在では、光岡博士の考えが当たり前となり、腸内細菌叢の加齢に伴う変動や個人差など多くの事実を発見して、腸内細菌学を確立しました。
1950年代後半に、バイオインフォマティクスの基礎が生まれます。
バイオインフォマティクスとは、生物学(バイオロジー)と情報科学(インフォマティクス)を組み合わせ、コンピューターを使って大量の生物データを解析する学問分野です。
1955年に、アメリカの物理学者であるマーガレット・デイホフがコンピュータを使って、異なる生物種のタンパク質のアミノ酸配列を比較するプログラムを作成し始め、1965年に『タンパク質の配列と構造アトラス』を出版。65種類のタンパク質のアミノ酸配列と構造、類似点をまとめました。デイホフは「バイオインフォマティクスの母」と呼ばれています。
| マーガレット・デイホフ(Wikipediaより) |
1974年には、「プロバイオティクス。抗生物質の物語のもう半分(Probiotics: The other half of the antibiotics story)」をリチャード・パーカー(どこの国の人かは不明だが、動物学者と思われる)が発表。
1989年にイギリスの微生物学者であるロイ・フラーが、プロバイオティクスを「腸内細菌叢のバランスを改善し、宿主(人間など)の健康によい影響を与える生きた微生物」と定義しました。
1995年にはイギリスの微生物学者であるグレン・ギブソンと、ベルギーの研究者であるマルセル・ロベルフロワが、プレバイオティクス(prebiotics)を提唱。
プレバイオティクスは、細菌や真菌などの有益な微生物の成長や活動を促進する食品中の化合物で、以下の条件を満たしているものです。
消化管上部で加水分解、吸収されない。大腸に共生する一種または限定された数の有益な細菌(ビフィズス菌等)の選択的な基質であり、それらの細菌の増殖を促進し、または代謝を活性化する。大腸の腸内細菌叢(フローラ)を健康的な構成に都合の良いように改変できる。宿主の健康に有益な全身的な効果を誘導する。
同じ1995年に、ギブソンとロベルフロワがシンバイオティクスも提唱します。シンバイオティクスとは、プロバイオティクスとプレバイオティクスを足したものです。ヨーグルト(プロバイオティクス)にオリゴ糖(プレバイオティクス)を混ぜて食べる方法が、それに当たります。
1998年には、光岡博士が「直接あるいは腸内細菌を介して免疫賦活作用、コレステロール低下作用、血圧降下作用、整腸作用、抗腫瘍効果、抗血栓、造血作用などの体調調節・生体防御・疾病予防・回復・老化制御等に働く食品成分」、「腸管を入った乳酸菌は小腸のパイエル板を通過して体内に引き込まれまれ、マクロファージによる貪食が起こり、IL-12やインターフェロン-αなどのサイトカインを分泌する」としてバイオジェニックスを提唱しました。
口から生きた乳酸菌を摂取しても、胃酸などの影響で死んでしまうので、腸で乳酸菌が働きかけたり、増殖したりするとは考えにくいもの。乳酸菌本体ではなく、乳酸菌が作り出すものや死骸が、腸に届いたときに刺激を与えて、腸内で乳酸菌が増えたり、腸管免疫が活発になったりするという考え方が、ざっくりしたバイオジェニックスです。
2000年に、アメリカのニューヨークで、国際プロバイオティクス・プレバイオティクス協会(ISAPP)が設立されました。発酵食品と健康に関する会議が行われた際に、専門科学者グループが立ち上げたもので、国際的な非営利団体です。毎年5~6月にヨーロッパとアメリカで総会が交互に開催されています。
2012年にISAPPが提唱したポストバイオティクスは、光岡博士が提唱したバイオジェニックスとほぼ同じ内容です。
話は過去に戻り、1990年代に入ると、培養できない種類も含むすべての細菌を、DNAやRNAを増幅するPCRやDNAの塩基(アデニン・グアニン・シトシン・チミン)配列を決定するシーケンシングといった分子生物学的手法が導入されます。こうして、腸内細菌の検出・同定・計数が行われるようになりました。
2003年に、ヒトゲノムの解読については概要が完了したと宣言され、(完全解読は2022年)、これを受けて次に腸内細菌のゲノム解読に急速に進みました。
2008年に、ヨーロッパではMetaHIT(Metagenomics of the Human Intestinal Tract)、アメリカではHMP(Human Microbiome Project、ヒトマイクロバイオーム計画)という、巨大プロジェクトが始まっています。
2012 年にHMPは、私たちの体内に存在する細胞よりも、腸内細菌の数のほうがはるかに多いと発表。人間の腸内細菌は 10の13乗 ~ 10の14 乗個で約 1000 種類、その遺伝子の総数は200 万~ 2000 万個と推定されています(人間は約 2 万個)。
2015 年に、国立研究開発法人医薬基盤・健康・栄養研究所が、独立行政法人医薬基盤研究所と国立健康・栄養研究所が統合し、2023 年には国立健康・栄養研究所が大阪府に移転しました。
2025年には英語略称がNIBINとなり、「腸内細菌間のコミュニケーションの一部が明らかに」などの発表がありました。
腸内細菌の研究で使われる手法には、次のような特徴があります。
○培養法
特定の菌の性質を詳細に調べられる
腸内環境全体の再現はできない
○メタゲノム解析
網羅的な細菌の種類や機能を明らかにできる
生きた菌の単離や詳細な機能解析はできない
日本でも千葉大学 未来医療教育研究機構の清野 宏博士は、次のように述べていました。
私は、腸内細菌を“もう1人の自分”だと捉えています。
免疫や臓器連関など幅広い分野で、腸内細菌の研究は今も進んでいるところです。
■主な参考資料
腸内菌叢研究の歩み
腸内菌叢解析のいろは
全体として生きる腸内細菌をはたらきで計測する
科学を変えた10のコンピューターコード
腸内細菌学会
野本教授の腸内細菌と健康のお話22 がん細胞や病原菌への効果に期待 新概念「ポストバイオティクス」
野本教授の腸内細菌と健康のお話38 ビフィズス菌の腸内定着
ルイ・パスツール
日本とブルガリアを架橋するヨーグルトの言説
ラクトバチルス・アシドフィルス


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