妙典エリア>妙典駅を巡る時間旅行(2026年2月13日更新)
| 1975年頃のハス田(市川歴史博物館で撮影) |
1894(明治27)年に開業した総武鉄道市川駅が、市川市内で最も古い駅であるのに対し、2000(平成12)年に開業した帝都高速度交通営団東西線妙典駅が最も新しい駅のようです。
帝都高速度交通営団は「営団地下鉄」とも呼ばれていました。1941〜2004年は国土交通省管轄の特殊法人で、現在は東京地下鉄株式会社で、株主は政府(53.4%)と東京都(46.6%)です。
以下の年表では、メトロアーカイブアルバムに大変にお世話になっております。あくまでも引用の範囲で、妙典のまちづくりの資料として写真を使用しているつもりですが、著作権その他問題があれば修正しますので、ご連絡ください。
またメトロアーカイブで『東京地下鉄道東西線建設史』が読めます。
○メトロアーカイブ『東京地下鉄道東西線建設史』
○メトロアーカイブアルバム サイトポリシー
■妙典駅とまちづくりの歴史年表
『街づくりの軌跡』(編/市川市妙典土地区画整理組合)に掲載されている座談会では、以下の発言がありました。
〈江戸川放水路開削前〉
○雨が降ると、行徳の一角から富浜まで水浸しになり、なかなか水が引かなかった
〈江戸川放水路開削後〉
○よい水田になって米も収穫できるようになった
○水田の稲がスズメやネズミの食害に遭った
○稲の代わりにレンコン(ハス)を栽培し始めた
○レンコンがドイツネズミの食害に遭った
※ドイツネズミの正式名称はマスクラットで、江戸川区の養鶏業者が養殖していたものの、第二次世界大戦後に野に放ち、江戸川の周辺で野生化し、行徳では忌み嫌われた
1962(昭和37)年 東京復興都市計画高速鉄道の5号線が、中野~高田馬場~飯田橋~大手町~茅場町~東陽町を経て船橋方面へ向かう路線として、都市交通審議会答申で示される。
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| 東西線の建設風景(メトロアーカイブより) |
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| 東西線の建設風景(市議会だより 2014年(平成26年)1月1日号より) |
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| 東西線の橋台(メトロアーカイブより) |
※市川市の資料には、「昭和 40 年~50 年代前半にかけて年間 1 万人程度増加」とある。
※ 『東京地下鉄道東西線建設史』には以下の記載がある。
路線は水田,蓮田地帯を通過するため,線路沿いに幅5~7mの作業用道路を全線にわたり設置した。この作業用道路の一部は工事完了後,地区の区画整理事業の一環として残置された箇所もある。
546ページ
先行した土木工事で資材その他の盗難事故が頻発したことから,電気工事で使用する資材は高価で代替のきかないものが多いことを考慮し,職員と警備保障会社とからなる警備体制をつくることにした。(中略)夜間侵入した強盗との格闘シーンなどはあったが,幸い盗難事故は完全に防ぐことができた。
715ページ
1969(昭和44)年3月29日 帝都高速度交通営団(営団地下鉄)東西線東陽町~西船橋開業時に、行徳駅、原木中山駅ができる。下妙典信号所が設置される。
1971(昭和46)年 日本鉄道建設公団が、東京と新東京国際空港(現・成田国際空港)を結ぶ成田新幹線の整備計画が決定。突然の発表に、地元住民が困惑し動揺。
※市川市議会でのやりとりや運輸省の報告書によると、成田新幹線は市川市内で東西線より50m海寄りを通るように計画されていた。突然の発表に、地元住民が困惑し動揺。そして、一部では、激しい反対運動が繰り広げられた。
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| 成田新幹線が計画されたルート(青色のライン、今昔マップより一部改変) |
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| 1972(昭和47)年に開通した新行徳橋(市議会だより 2014年(平成26年)1月1日号より) |
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| 1977(昭和52)年の地図(青いマークが東西線、今昔マップより) |
1978(昭和53)年 帝都高速度交通営団が『東京地下鉄道東西線建設史』を発行。
1981(昭和56)年 帝都高速度交通営団東西線に南行徳駅ができる。
1983(昭和58)年 日本鉄道建設公団が、運輸省鉄道監督局国有鉄道部長に成田新幹線の凍結申請。
1986(昭和61)年 東行徳商店会ができる。アメリカ西海岸をイメージしたまちづくりを目指し、6つの通りが「シンボルロード」として、マリンロード・ガーデナーアベニュー・ハーバーロード・ハッピーロード・カリフォルニアロード・サンセットストリートと名づけられる。
1988(昭和63)年 妙典土地区画整理組合による市川市妙典土地区画整理事業が始まる(平成12年度まで)。
1991~1993年 バブル経済
1992(平成4)年 国土交通省によって、高規格堤防整備を行われる(平成10年度まで)。
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| 高規格堤防特別区域(国土交通省江戸川河川事務所サイトより) |
1994(平成6)年 妙典地区計画の都市計画決定。
1999(平成11)年 市川妙典サティ(現在はイオン市川妙典店)開業。
※サティを全国展開したマイカルグループの業績が悪化し、2001年には民事再生法、同年に会社更生法を申請し、イオンがスポンサーになる。
※市川妙典サティについては、2005年にスポーツクラブやホテルが完成。2011年にイオンがマイカルを吸収合併し、サティとジャスコがイオンへ統一されたため、市川妙典サティからイオン市川妙典へと変更。
| 2000(平成12)年 交通広場の夜景(『街づくりの軌跡』 より) |
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| 1999(平成11)年の地図(青いマークが東西線、今昔マップより) |
2000(平成12)年 帝都高速度交通営団東西線に妙典駅ができる。商業施設「M'avみょうでん」がオープン。
2004(平成16年)年 都高速度交通営団が民営化されて東京地下鉄が発足したことに伴い、東京メトロ妙典駅と名称が変わる。
■参考資料
東京メトロ
メトロアーカイブアルバム 東西線
東京の地下鉄建設の歴史年表
昭和日記
Wikipedia 妙典駅
市川市の資料
東西線の行徳付近の側道は成田新幹線の遺構なのか検証してみる~幻の成田新幹線市川市内ルートはどこに~














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