「ニッケの池」ができた頃からダイエー市川コルトンプラザ店の閉店までを年表にしてみた
| ダイエーサイトより |
2025(令和7)年8月31日に閉店したダイエー市川コルトンプラザ店。この日の20時30分前には、別れを惜しむたくさんの人が集まったとのこと。そして、ダイエー市川コルトンプラザ店のシャッターが1枚、また1枚と閉まるたびに、拍手が起こり、「ありがとう」という声も聞かれたそうです。
今回は、「ニッケの池」ができた頃からダイエー市川コルトンプラザ店の閉店までをまとめてみました。
1920(大正9)年 上毛モスリン株式会社の一工場として創設(中山工場)
日本でのモスリンは毛織物で、「モス」「メリンス」「縮緬呉呂(ちりめんごろ)」「唐縮緬(とうちりめん)」とも呼ばれていたそうです。
1927(昭和2)年6月 日本興業銀行、旧上毛モスリン(株)の中山・館林工場の抵当権に基づき共立モスリン(株)を設立
1927(昭和2)年10月 共立モスリン(株)、資本金400万円五増資、日本毛織(株)325万円を出資
1941(昭和16)年7月 共立モスリン(株)を合併、日本毛織中山工場となる
工場の近くには「ニッケの池」と呼ばれる池がありました。上毛モスリン株式会社の工場を建てる頃に、土砂が必要となって、掘ったところに水がたまったと考えられます。
1948(昭和23)年の空中写真には、人工的な形の池が写っています。これがニッケの池でしょう。![]() |
| 提供 国土地理院 |
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| 1976年頃の地図(今昔マップより、一部改変) |
1957(昭和32)年4月10日 ダイエー創業
1980(昭和55)年4月 ダイエーは百貨店事業へ進出するため、フランスの百貨店プランタンと提携調印して合弁会社オ・プランタン・ジャポン設立
1982(昭和57)年5月 日本毛織中山工場閉鎖
1986(昭和61)年2月 合弁会社オ・プランタンジャポン清算1988(昭和63)年 アメリカ西海岸の地名が付いた、ショッピングモールが中心の複合施設であるニッケコルトンプラザがオープン
ニッケコルトンプラザ(NIKKE COLTON PLAZA)の「コルトン」は、ロサンゼルス郊外のサンバーナディノ市内の山岳リゾート地コルトン地区に由来しています。 その地が、東京都心に対する市川市の立地関係に似ており、市川市と共有できるイメージがあるためです。また、英語で「COLT」が子馬を意味し、将来立派に成長していくようにという願いと希望が込められています。 (日本毛織百年史より)
https://www.nikke-cp.gr.jp/guide/info.jsp
アメリカのカリフォルニア州サンバーナーディーノ郡コルトン。Googleマップで確認しました。赤く丸を付けた場所です。
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| Googleマップより、一部改変 |
ニッケコルトンプラザの建物の中は、1階が駐車場で、2~4階はダイエー直営のいちかわプランタンと、専門店街に分かれていました。
専門店街
〇2階 婦人服が中心で、三愛、アイマリオ、キャビン
〇3階 子ども服など
いちかわプランタン
〇2階 食品売り場
〇3階 ファッションフロア 「銀座のプランタンと違って、かなりダイエーっぽい」
〇4階 オーディオ、インテリア関連、ゲームセンター
〇屋上 遊戯施設
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| 『across』1989年1月号 ニッケコルトンプラザオープン記事より |
建物の外側には、カーニバルプラザ市川スタジアム、銀座アスターなどのレストラン、そしてタコタイムやベッカーズなどといったファストフードがあったとのこと。
サーカス小屋を意識した「サーカスレストラン」であるカーニバルプラザ市川スタジアムはダスキンの運営で、外観はサーカスのテント小屋、室内はアーリーアメリカン調だったとのこと。1階はバーのスタイルのシーサイドラウンジ(170席)とシーフードホール(400席)、2階はバーベキューホール(330席)。また、占いやくじびきのコーナーもあったようです。
1日4回、ピエロ(クラウン)によるショーが行われるほか、25分に1回、店内の池で雷が鳴って雨が降ったそうです。
2008年より前に閉店したという情報がありました。2009年の施設図だと「コルトンアネックス」になっています。
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| 1989年7月 魚【NO.55】 - 魚食普及推進センターより |
1996(平成8)年 いちかわプランタンがダイエーいちかわコルトンプラザ店に転換
2009(平成21)年5月2日 「0.7歩先をいく、“ちょっといいね”がテーマです」をコンセプトに、増床と本館の全面リニューアル
〇2階増床 ピーコックストアニッケコルトンプラザ店開業
〇3階増床 フードコート
〇3階建新築 コナミスポーツクラブ市川
※ヴィレッジバンガードもこのタイミングで開業
2014(平成26)年9月30日 ピーコックストアニッケコルトンプラザ店閉業
2014(平成26)年11月29日 ダイエーいちかわコルトンプラザ店を大規模改修し、「フード・スタイル・ストア(FSS)」の実験店と位置づけてオープン
総菜などを中心とした「中食」が強化されました。
2015(平成27)年1月1日 ダイエーがイオンの完全子会社となり、イオングループに入る
2025(令和7)年1月5日 ヴィレッジヴァンガード ニッケコルトンプラザ店閉店
2025(令和7)年8月31日 ダイエーいちかわコルトンプラザ店営業終了
跡地には、イオンリテールがイオンスタイル市川コルトンプラザ店をオープンする予定です。
この日は、銀座アスター市川店も閉店しました。
■主な参考資料
Wikipedia
レファレンス協同データベース
葛飾区史
https://www.city.katsushika.lg.jp/history/history/5-2-1-287.html
https://www.city.katsushika.lg.jp/history/ayumi/files/kanamachi/%E7%B7%A8%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%A0%E3%82%88%E3%82%8A(%E9%87%91%E7%94%BA%E5%9C%B0%E5%8C%BA).pdf
https://www.city.katsushika.lg.jp/history/history/5-2-1-287.html
https://www.city.katsushika.lg.jp/history/ayumi/files/kanamachi/%E7%B7%A8%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%A0%E3%82%88%E3%82%8A(%E9%87%91%E7%94%BA%E5%9C%B0%E5%8C%BA).pdf
昭和20(1945)年頃の本田木根川町や本田渋江町には池が非常に多く、「三歩歩くと池に当たる」といわれるほどであった。これらの池の多くは、大正元(1912)年に京成電気軌道(現京成電鉄)押上線の線路を作る際に、土砂を得るために掘られてできたものだった。
この他にも、工場や学校など、大きな建物を建てるときに土砂を得るために掘られたという池が無数にあって、いつの間にか小魚やウシガエルのすみかになっていた。
(中略)
昭和20年代にはこうした新しい池にも釣り客が押し掛け、楽しむ場となった。例えば金町駅北側にはモスリン池と呼ばれる大きな池があった。東京モスリン金町工場注釈1に隣接していた池で、藻が多く、テナガエビ釣りの名所として知られていた。春から夏にかけて大勢の人が詰め掛けていた。
昭和レトロ
大規模小売店舗マニアのブログ 9/30閉店 ピーコックストアニッケコルトンプラザ店
https://daieisaison.jp/blog-entry-311.html
https://daieisaison.jp/blog-entry-311.html
【市川市】ダイエーいちかわコルトンプラザ店が8月31日で閉店。最後は「ありがとう」の声と拍手も多数。
https://web.archive.org/web/20141220182122/http://www.sankei.com/economy/news/141129/ecn1411290018-n1.html






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