市川市のガイドブックには決して載っていない話  ~鏡石(2025年11月27日再構成)

   京成電鉄市川真間駅の南口付近に「鏡石」があります。



看板の下の「鏡石」

 その看板には、次のように書かれています。

鏡石の由来
 この石は、もと弘法寺から国分寺に向う道筋の、平川にかかる橋の袂にあったものです。天保七年(一八三六)に出版された江戸名所図会には「鏡石」として石橋の際の水中にあり。この石根地中に入る事その際をしらず。故に要石とも号くといへりと証明しています。この石が要石だとしたら動かすことはできないはずです。ところが江戸名所図会にある鏡石の付近に、夫婦石が祀られていたという言い伝えがありました。夫婦石というのは、男女の性器に似た石を並べ、その年の豊穣を祈願したものでわが国では古くから行われていた風習なのです。もし、この石が夫婦石の片割れであったとしたら、女性を象徴したものになります。石の凹んだ面に水を溜れば、水鏡となって顔を映すことができます。「鏡石」の名はここから起こったもので、夫婦石は動かしてはならぬところから、「要石」とも呼ばれたものと思われます。


 正直なところ、全然、意味がわかりません。そのため、この文章について、新たな解説を加えました。



 今は暗渠になっていますが、以前はじゅんさい池から始まって国分川までつながっている「平川用水路」がありました。

 平川用水路と、弘法寺と国分寺を結ぶ道が交差するところに、「石橋」がかかっていました。石橋の近くに「鏡石」があったのです。
石橋があったと推測できる場所

弘法寺と国分寺を結ぶ道

レトロ標識
石橋の名残の「石橋上公園」

 1836年(天保7年)に出版された『江戸名所図会』によると、川の中に鏡石があって、石は奥深くまで埋まっているために「要石」とも呼ばれていたようです。
 しかし、地中に深く埋まっていたのならば、動かせないはずです。今は市川真間駅の近くにあるので、要石とは考えにくいですね。

『江戸名所図会』


 そして、 1923年(大正12年)に刊行された『千葉県東葛飾郡誌』には「夫婦石、鏡石の北西凡そ二間、水の中にあって、この石を掘り出そうとすると血の雨が降る」と書かれているそうです。

 「血の雨が降る」

 物騒です。


 夫婦石とは、男女の性器の形をした石のこと。
 日本各地に夫婦石はあります。「まぁ、いやらしい!」というのは早計で、子宝や豊作などを祈願するための対象だったようです。


 それで、『市川の歴史を訪ねて』(市川市教育委員会)には、「鏡石は、きっと夫婦石の片割れであったかも知れません」と書かれています。
 いやいや、「きっと~」が受けるのは「~に違いない」で、係り受けが変です。文末も「知れません」ではなく「しれません」と書くほうが自然。
 私が推測するに、最初にこの文章を書いた人は「鏡石は、きっと夫婦石の片割れです」としたのですが、後で誰かが「断言するのもちょっと……」ということで、文末だけ変更したに違いありません!

 そして、次の文章が続いていました。


鏡石は一時この場所から京成市川真間駅の南口に移されていましたが、駅が高架になったとき姿を消してしまい、現在あるのは新しくつくられた二世です。


 二世偽物ということです。 


 また、鏡石はイミテーションで、元々あった場所から掘り出された石は紛失したと『聞き書き 資料編 市川市国分周辺の変遷』(著/松岡博子)と書かれています。明治34年生まれの井上千輿次さんの談話です。

終戦後、国府台の大工が他の人と田んぼを取り換えて、石をほじくり上げたところ、案外小さいのだよ。青っぽい、土台石にするくらいの石が三つか四つあった。

 ということは、『江戸名所図会』を見ながら鏡石のイミテーションを作り、元の場所とはまったく違う京成本線の線路脇に置いて、わざわざ由来を書いた看板も立てたわけです。


 写真ではわかりにくいのですが、石のくぼみの水たまりに、小銭が投げ入れられています。「水でお金を浄化して、金運アップ」という言い伝えのようなものがあるのかもしれません。しかし、その鏡石は、偽物です。

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