【子育て情報】市川市の奨学金制度(受付期間は2026年3月2~31日)
信篤尋常小学の初代校長の大畑忞(つとむ)氏の孫に当たる大畑一枝氏は、「遺産を子どもたちの教育に使って欲しい」と遺言を残し、これが大畑忞教育基金の原資になっています。
市川市では、令和8年度の奨学生(高校生対象)を募集しています。受付期間は、2026(令和8)年3月2日(月)~31日(火)です。
○令和8年度の奨学生(高校生対象)の募集について
今回は、奨学金制度のもととなる数億の遺産を寄付した大畑一枝氏の祖父である大畑忞氏について紹介します。
信篤小学校、信篤公民館などの「信篤(しんとく)」は地名ではありません。
信篤の由来は、信篤小学校にあります。なお、開校時は「信篤尋常小学」で、場所は現在の信篤図書館だったようです。
中国の書物[論語]の中の「篤信好学・守死善道」(深く信じて、学問を好み、命がけで道をみがく)から引用したと言われています。
明治29年 7月 12日 高谷小が、原木・高谷両地区境に校舎を新築し、信篤尋常小学と改称。初代校長「大畑 忞」(開校記念日とする)
本八幡駅が開業する前なので、現在の本八幡駅周辺もThe 田んぼで、千葉街道の沿道に住宅が密集しています。
信篤尋常小学の周辺については、4つの集落がポツポツとあったようです。
集落の1つは、古い時代は下総国栗原郷、そして江戸時代から兵庫新田と呼ばれていたとのこと。その後、小栗原となり、1889(明治22)年には、千葉県東葛飾郡葛飾村になりました。
ほかの3つは、歴史的行政区域データセットβ版 ベクトルタイル地図 | Geoshapeリポジトリによると、1920年1月1日の時点では千葉県東葛飾郡行徳村です。村の境界がジグザグになっていました。ただ、現在の信篤市民体育館は、千葉県東葛飾郡行徳村です。
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| オレンジ色の区域が行徳村 |
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| 歴史的行政区域データセットβ版 ベクトルタイル地図 | Geoshapeリポジトリより |
それが1953(昭和28)年のデータでは、信篤市民体育館の半分が市川市という、現在の状況になっているようです。
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1955(昭和30)年に、行徳村が市川市に編入しています。このときに、行徳村の一部で「市川市への編入は嫌!」というかなんというか、そのようなことがあったのかもしれません。憶測ですよ、憶測。
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| 広報いちかわ2024年1月1日より |
さらに、あくまでも推測ですが、行徳村の頃には信篤市⺠体育館の前身に当たる施設がすでにできていたのでしょう。市川市の資料では、現在の信篤市⺠体育館は1985(昭和60)年に建設されたものだそうで、この時点ですでに「半分が市川市で半分が船橋市」だったと考えられます。
「信篤」と名づけた信篤尋常小学の初代校長の大畑忞氏については、篤志家だったに違いありません。田んぼばかりで寺子屋の延長のような学校があった頃に、教育施設を整えようと尽力したという印象があります。
そして、住民も大畑忞氏を尊敬し、自分たちが住んでいる地域を「信篤」と呼ぶようになり、地名は原木だがアイデンティティが「信篤」なのではないかと勝手に思ったわけでありました。






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