初詣・神前結婚式・七五三参りは明治以降に「創りだされた伝統」 その3 江戸時代の恵方詣から、明治の初詣へ
パワースポット巡りで盛り上がりを見せたのは、江戸時代。有名なのは、お伊勢参りです。庶民が集団で伊勢神宮に参詣するのですが、この様子を面白おかしく描いたのが『東海道中膝栗毛』(著/十返舎一九)です。
| 『東海道中/膝栗毛』(国文学研究資料館所蔵)出典: 国書データベース |
また、江戸時代後期の「ええじゃないか」も、一種の“信仰心”から始まったもので、「ええじゃないか、ええじゃないか」と連呼しながら激しく民衆が踊ったとのこと。
| 河鍋暁斎 - 国立国会図書館デジタルコレクション |
狛犬や道祖神がたくさん作られたのも、江戸時代だったのだそうです。
| 葛飾八幡宮の狛犬 |
江戸時代には恵方詣(えほうもうで)という習慣が生まれ、それが明治になり、鉄道会社の広告戦略で初詣となったようです。
恵方とは、歳徳神(としとくじん、とくどさん、別名「年神、歳神(としがみ)」)がいるとされる方向で、方位学を用いる陰陽道の考え方などがベースにあるようです。
恵方は、毎年変わります。
例えば、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二支(じゅうにし)が、毎年、年賀状に描かれますが、十二支と同様に使われているのが十干(じっかん)です。
十干には、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10の要素があります。
江戸時代までは、時刻や方位を十二支と十干を使って表していました。Wikipediaと、なぜか横浜市泉区のサイトに、非常によい図版がありましたので引用します。
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| 横浜市泉区のサイトより |
恵方については、非常にわかりやすいこよみのページの内容を引用します。
■年の十干:方角:西暦年末尾の数字
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| Wikipediaより |
明治になり、近代化が進む中で「恵方」という考えが廃れたかというと、そうではありません。私たち日本人は、開運ネタが大好きなのです。
当時は鉄道の敷設も進み、「ちょっと奮発して電車に乗って、恵方詣」が庶民の間でブームになったのだそうです。
しかし、恵方詣だと、参拝客が集中する寺社が限定されます。恵方に当たらない寺社の正月風景は寂しくて、さらに人口の多い東京と恵方に当たらない寺社とを結ぶ鉄道ももうからないわけです。「それは嫌」とばかりに、「恵方でない寺社も参拝しましょう」というキャンペーンを、鉄道会社が行ったわけです。
これが初詣の始まり。
結果として、大正になると「初詣に行きましょう。そういえば恵方の神社は○○です」というように、メインが初詣、サブが恵方詣と逆転してしまいました。そして今日に至ります。
私たちのような庶民は、恵方をいちいち調べるのは面倒くさいものです。そういえば一時期、コンビニエンスストアで盛んに「恵方巻」がPRされていたのですが、さほど定着しなかったのも「恵方とか、考えること自体が面倒」という庶民感覚が関係したのかもしれません。
初詣は“正月にどこかにお参りする”という以外には特に中身がない曖昧な言葉であり、その曖昧さゆえに鉄道会社はこれを毎年の宣伝に活用するようになった。
『鉄道が変えた社寺参詣 - 初詣は鉄道とともに生まれ育った』
鉄道各社が参拝客集めを競い合い、賽銭収入というメリットと伝統の維持との間で揺れ動く寺社と駆け引きを行って、初詣が成立したということです。
■参考資料
『鉄道が変えた社寺参詣 - 初詣は鉄道とともに生まれ育った』(著/平山昇、交通新聞社新書)
http://gakui.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/gazo.cgi?no=127621
暦のページ
https://koyomi8.com/reki_doc/doc_0430.html
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市川大百科事典 ろ 六十干支 ろくじっかんし
https://ichimiraiarchive.blogspot.com/2022/06/blog-post_76.html



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