市川市中国分4丁目近辺、山が一つなくなっちゃった問題 その1

じゅん菜池緑地の紅葉
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三角山は削られて平地となってしまった。当時を知る人々の心の中に聳える幻の山である。
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 市川市中国分自治会のサイト内にある「中国分歴史探訪」には、このように書かれていました。


 市川市で山が一つ消えた。


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 射撃場跡地(現在の四丁目)は、幅二百メートル、奥行き六百五十メートルあり、北の外れに標高四十数メートル(当時市川市で最も高い場所と言われていたが、詳細は不明)の三角山と呼ばれた丘があった。
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 記載されている「射撃場跡地」とは、日本陸軍が射撃訓練を行った場所のこと。
 1896~1909年の地図を見ると、じゅん菜池緑地の東側に「陸軍射撃場」があります。

今昔マップより

 そして、1928年(昭和3年)に発行されたという『千葉県市川町鳥瞰』を見ると、じゅん菜池緑地の北側に小高い山が描かれています。この山は陸軍射撃場の北に当たるので、三角山の可能性は高いといえます。

『千葉県市川町鳥瞰』より



 「中国分歴史探訪」では、三角山の標高は40数メートルと考えられていたとのこと。現在の市川市の最高点は里見公園内で30.1メートルなので、里見公園よりも10メートルほど三角山は高かったことにあります。ですから、決して小さな山だったとは思えません。

 1947年(昭和22年)に米軍が撮影した空中写真を見ると、陸軍射撃場の跡地が長方形に見えます。その北側で、木がこんもりと茂っているところが三角山と推測できます。

国土地理院のデータを一部改変

 1955年(昭和30年)前後に、宅地造成のために削られて、住宅地に変貌した三角山。

 令和の「当たり前の風景」は、昭和初期には考えられない風景だったようです。


○備考

 削られた三角山の土はどこへ運ばれたのか?


○参考資料
市川市中国分自治会の「中国分歴史探訪」
http://www.nakakokubun-ichikawa.org/gaiyou/rekishi_tanpou.html

レファレンス協同データベース
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000222144

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