妙典駅を巡る時間旅行 その2 昭和50年代に激変した沿線の南側

第2江戸川橋梁(第1江戸川橋梁は旧江戸川に架橋)

東京メトロ東西線妙典駅北口

東京メトロ東西線妙典駅南口


 国土地理院の過去の地図を見比べると、東京メトロ東西線(以下、東西線)の南側にある妙典4~6丁目が、昭和50年代に激変したことがわかります。
 以下の国土地理院地図はすべて今昔マップからの引用で、地図上の青いマークは東西線の経路です。
昭和42年
昭和52年
昭和62年

平成11年

現在

 昭和42年の地図だと、道路沿いに町があります。東西線が通っている土地には、民家がありません。

 それが、東西線が開通した頃には民家がポツポツとできてきて、昭和62年の地図を見ると、一気に市街地化が進んだことがわかります。

 市川市の資料には、「昭和 40 年~50 年代前半にかけて年間 1 万人程度増加」とあります。
 毎年人口が約1万人ずつ増えていった背景には、東西線の開通があるのでしょう。




■参考資料

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