「東京10号線延伸新線」の名残を市川市内で探せるのだろうかファイナル 派川大柏川ルート

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東菅野5丁目(手前は派川大柏川)




「東京10号線延伸新線」の名残を見つけるためのキーフレーズ
○新宿線(東京10号線)を北鎌ヶ谷駅までつなぐために、1972(昭和47)年に路線計画が追加
○大柏川調節池周辺の東菅野駅
○市川市保健医療福祉センター東側の柏井駅
○大柏川調節池付近で地上に出て、武蔵野線の下をくぐる
○公共用地の下を極力選んで通す


 まず、路線計画が追加された時期に近い、1976(昭和51)年の地図(下の図の左側)を確認してみましょう。


 現在のニッケコルトンプラザ通りは、当時は千葉街道(国道14号)までで止まっています。
 本八幡から鎌ヶ谷方面に向かうには、千葉県道51号市川柏線を北上し、八幡4丁目で斜め上に伸びる道路を進んでいたと考えられます(青いマークがついているところ)。
 道路、つまり公共用地です。

 そのため、東京10号線延伸新線は、このルートを進むように計画されたのではないかと考えました。

 1976(昭和51)年の地図には、「東菅野5丁目」がありません。理由として考えられるのは、「ここには住宅がないから、番地が必要なかった」ということ。
 ちなみに、宮久保と東菅野の境は派川大柏川のようです。

 「東菅野」という地名で、住宅がないから立ち退き料などが必要なく、大柏川調節池に近い。

 そんな東菅野5丁目に、東京10号線延伸新線の名残があるに違いありません。
 そして、現在の地図でも空き地のままの場所が、東菅野5丁目に存在します。

航空写真(Googleマップより、一部改変)

「ここから出たい!」
 そんな雰囲気を、上の航空写真で赤く丸で囲った空き地が醸し出しています。

 では、行ってみましょう。
東菅野5丁目の土地を南側から撮影


東菅野5丁目の土地を北側から撮影(左の青いネットは梨畑)


東菅野5丁目の土地を北側から撮影
 
東菅野5丁目の土地を、北側にある駐車場(?)から撮影

 住宅街の中に、広大な土地があります。航空写真で確認した空き地で、雑草が生い茂っています。

 もうちょっと北上して、大柏川調節池に近づいていきましょう。
舗装されておらず……

住宅はなく……

ぬかるみ……

水がたまって、もはや進めず……

 砂利道とぬかるんだ空き地。
 空き地の逆サイドには駐車場や倉庫。それからのニッケコルトン通り、大柏川調節池となります。

大柏川調節池(手前がニッケコルトン通り)

 現地にまで足を運んで考え直したのは、道路ではなく、川という公共用地をルートにした可能性です。

 派川大柏川。

 そうです。「派川大柏川」の派川(はせん)とは何なんだ問題 で取り上げた、あの川です。

●「派川大柏川」の派川(はせん)とは何なんだ問題

 東京10号線延伸新線は、千葉県道51号市川柏線を北上し、東菅野3丁目で北東に進路を変え、派川大柏川の下を進み、東菅野5丁目から地上に出たのです。そして、大柏川を越え、大柏川調節池から北上し、市川市保健医療福祉センター東側の柏井駅へと向かうはずだったのでしょう。

 もちろん、勝手な推測です。千葉県や市川市には問い合わせておりません。
 
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