市川大百科事典 お 大畑忞教育基金 おおはたつとむきょういくききん
大畑忞教育基金 おおはたつとむきょういくききん
信篤尋常小学校(現在は信篤小学校)の初代校長の大畑忞(おおはたつとむ)氏の孫に当たる大畑一枝氏が「遺産を子どもたちの教育に使って欲しい」と遺言を残し、これが原資となった教育基金。
1879(明治12)年に教育令が公布され、学区制を廃止し、町村を小学校の設置単位と位置付け、その行政事務を行うために町村に人民公選の学務委員を置くことなった。市川市内でも小学校の統合が行われたが、当時存在した原木学校と高谷学校の統合が遅れた。
郡長や村会議員・学校長などが斡旋した結果、1895(明治28)年に学校の位置を「原木、高谷境地ヲ以テスル」と決定し、初代校長の大畑忞氏が『論語』をもとに「信篤」と尋常小学校を命名した。
参考資料
- 市川の地名 https://www.city.ichikawa.lg.jp/common/library/db/file/0000374095.pdf
- 『校歌は生きている』(著/吉井道郎 市川市教育委員会)
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