市川大百科事典 か 干拓 かんたく
干拓 かんたく
水深の浅い海や湖を堤防などで仕切って、水を抜いて陸地にすること。干拓地は、元(海や湖だった頃)の水面より低くなる場合が多い。
以下の地名は、干拓地であった可能性が高いといえる。
○新地
○新田
○新開
○新涯
○開作
○開
○籠(こもり)
干拓については大変に歴史が古く、323年に行われたという記録がある。当時、大阪府の淀川と古川の間で水害が多く、仁徳天皇が詔を出して、淀川左岸に茨田堤(まんだのつつみ)という堤防が築かれ、干拓事業が行われた。
堤防を築く技術については、渡来人がもたらしたものである。
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茨田堤(寝屋川市サイトより) |
江戸時代までは、籠(かご)に土石を入れたものを堤防とした。そのほか、干潟に丸太を打ち込み、竹などを絡めて、そこに潮の満ち干によって取り残された砂や泥を堆積させ、ヨシなどの植物を生やして堤防の基礎にした。
市川市の加藤新田については、1968(昭和43)年7月に埋め立てられたというデータがある。元は干拓地で海面よりも低かったため、土砂を運んできて埋め立て、高くしたのだと推測される(干拓+埋め立て)。
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埋め立ての状況(関東地方整備局のデータより) |
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