「東市川南平台高級住宅地」を市川市内で探してみた

  1955年頃から1970年代にかけての高度成長期に人口は増え、日本の住宅は不足していました。その当時、マイホームはあこがれの的だったのです。

 政府もニーズにこたえるべく、集合住宅を建設する政策を進め、民間業者は住宅地を乱開発しました。
 業者の煽り文句が並ぶチラシなどを紹介した『昭和の東京郊外 住宅開発秘史』(著/三浦 展 光文社)。この本をパラっとめくると、市川市内の住宅地のチラシが掲載されていたのです。

『昭和の東京郊外 住宅開発秘史』より

 東市川南平台高級住宅地
 投資最適

 東市川南平台? そんな地名はありません。
 チラシには「現地案内所 国電市川駅前」と書かれているので、市川駅の近くなのでしょうか。
 そのようなわけで、チラシに掲載されている情報をもとに「東市川南平台高級住宅地」を探してみました。



※この記事は、2023年9月22日と2025年10月1日に『クラナリ』に掲載したものを再構成しています


 「東市川南平台高級住宅地」にある「南平台町(なんぺいだいちょう)」は、渋谷区にある高級住宅街で大邸宅が建ち並ぶとのこと。「明治半ば以降から邸宅街として発展した」とウィキペディアでは説明されています。
 そのようなわけで、昭和30年代に民間の開発業者が造成した住宅分譲地には、「南平台」が多く使われていたようです。

 となると、「東市川南平台高級住宅地」の焦点は、「東市川」に絞られることになりました。

 市川駅は、市川市内でも西側に位置します。「東市川」については、「市川駅から近い地域の中で、駅よりも東側」か「市川市の東側」か、どちらかを指しています。

 チラシのポイントは「附近の公団住宅風景」。公団(日本住宅公団)は、かつて存在した特殊法人で、公団が市川市内に作った団地といえば、市川市本北方2-3に位置する中山団地です。中山団地は、1967(昭和42)年3月に竣工しています。
 チラシの写真を見ても、「附近の公団住宅風景」は中山団地が濃厚。

 あれ?
 市川駅から中山団地までは、非常に遠いですよね。中山団地の最寄り駅は京成本線の鬼越駅ではないでしょうか。

 ここにチラシマジックがあるのです。「秋葉原~市川 僅か20分」と、わざわざ赤字で書かれています。鬼越駅だと「僅か20分」では秋葉原に行けません。
 業者は、「秋葉原から近い」という雰囲気を醸し出すために、あえて現地案内所を市川駅前にしたのでしょう。集まったお客さんは、ここからバスなどに乗せられ、中山団地近くの「東市川南平台高級住宅地」へと案内されたに違いありません。

 いつもお世話になっている今昔マップで中山団地周辺を確認しましょう。地図の青いピンが中山団地です。

 昭和20年には田んぼが広がっていました。



 昭和40年になると、中山団地の右下に、道路だけができていて、住宅がほとんどない地域が出現します。


 昭和51年には、かなりの数の住宅ができています。



 現在の航空写真でも確認しましょう。赤いピンが中山団地です。
 中山団地の右下に、扇形のように不自然な区画がされている一帯があります。逆をいうと、開発された可能性が高い地域です。
Googleマップより

 以上のことから、「東市川南平台高級住宅地」は本北方(もときたかた)辺りだと推測しました。
 ちなみに、北方町は「ぼっけまち」。地名というものは、実にややこしい……

 地名はさておき、手掛かりとなる中山団地へと足を運びました。

高架水槽?(Googleマップでは「給水塔」)

 中山団地の敷地は広々としていて、10号棟までありました。いたるところで花を見かけ、気持ちのよい空間です。


 冒頭で紹介したチラシの写真が不鮮明ではありますが、建物の特徴から、写真に写っているのは中山団地で間違いないでしょう。

チラシの写真「附近の公団住宅風景」

4階建てでベランダの形状もそっくり


 10号棟もあるということは、工事期間もそれなりに長かったはずです。市川市本北方2-3に公団が大規模な団地を作るという情報を得て、民間業者も周囲の土地を買って住宅団地として開発したのではないでしょうか。

 確認のため、中山団地の周囲を歩き回りました。
写真の右側が中山団地

 中山団地の近くには、昭和レトロな建物が残っています。
 まず、典型的な看板建築。



 そして、平屋。

 「東市川南平台高級住宅地」が開発された頃は、こうした店舗や住宅が見られたに違いありません。中山団地という大規模な団地ができるということで、店舗はかなり多かったのではないでしょうか。

 ちなみに“市川あるある”道路はこれ。
「行き止まり」「車の通り抜けできません」

 見通しが悪い上に、狭く、行き止まりが多いのです。

 しかし、中山団地の周辺は違います。
 まっすぐ。
 見通しOK。
 広々。

 ちゃんと十字路(市内はガタガタになっているところが多い)。
 遠くまで見渡せる。
 はい、まっすぐ。


 こうした道路の形状からも、「東市川南平台高級住宅地」は本北方だと確信した次第です。

 そして昔のチラシで、やっぱりダメじゃないかと思ったのが、「分譲地に隣接した公団駅前広場」。
「分譲地に隣接した公団駅前広場」

中山団地の敷地中央にある広場の幼児遊園

 広場の幼児遊園を撮影したのでしょうが、Googleマップだと、最寄りの京成電鉄鬼越駅まで徒歩24分です。
Googleマップより

 なにが駅前広場だ!

 チラシには「光土地株式会社 本社 四谷見付 新宿区四谷1~24番地」とありますが、この住所に今は関西系ホテルチェーンの建物が建っています。ということで、光土地株式会社は、今はもう、存在しないのでしょう。
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