印旛沼の水が県営水道として、市川市の一部、そして浦安市の全域に供給されているのを知っていましたか
2026(令和8)年9月21日に関東に接近した台風25号の影響で、千葉県北部にある印旛沼の周辺で大規模な水害が起こっています。
○【2026(令和8)年9月21日台風25号】印旛沼堤防決壊など災害の長引く影響
この印旛沼の水が、県営水道として、市川市の一部、浦安市の全域に供給されているのを知っていましたか。市川市民のクラナリは知らなかったので、驚いていました。
| 千葉県北部にある印旛沼(出典:Googleマップ、一部改変) |
市川市の一部、そして浦安市全域の水道水には、印旛沼の水と利根川の水が混ざっているとのこと。
印旛沼の水
県営水道印旛取水場(佐倉市)→千葉県企業局柏井浄水場(千葉市花見川区)→市川市の一部、浦安市の全域利根川の水
千葉県企業局木下取水場(印西市)→千葉県企業局柏井浄水場(千葉市花見川区)→市川市の一部、浦安市の全域
市川市の北部では、水源が江戸川である、ちば野菊の里浄水場(松戸市)から水道水が供給されています。
| 出典:給水区域図 |
千葉県北部には、利根川水系の印旛沼があります。
1000年ほど前まで、千葉県北部は内海でした。香取海(かとりのうみ)、香取浦(かとりのうら)、古鬼怒湾(こきぬわん)などと呼ばれていたようです。
印旛沼ができたきっかけは、徳川家康による利根川東遷です。江戸時代の前には東京湾に流れ込んでいた利根川を、銚子のほうへと流路を変える事業で、1594(文禄3)年に始まりました。
| 出典:開拓維新記(印旛沼二期農業水利事業所制作) |
利根川で洪水が起こる度に、土砂が内海へとたまっていき、陸地化しました。こうして印旛沼など、千葉県北部の湖沼ができたのです。
江戸時代には、1724(享保9)年・1786(天明6)年・1840(天保11)年の3回、印旛沼を干拓する事業が行われましたが、すべて挫折しました。
天保の干拓事業では、「印旛沼の怪獣」という伝承が生まれました。
この怪獣については、当時の地元住民が、過酷な干拓工事に対する不満や幕府への皮肉として創作した伝説ではないかともいわれています。作家の山口敏太郎氏は、役人が殺害されるという過激な描写などから、そうした可能性を指摘しています。
干拓が挫折した理由の一つが、化泥(ケト、ケド)と呼ばれる、粘り気のある泥状の土でした。水を含むとドロドロになるため、踏み入れたら足が深く沈み込んでしまいます。
明治以降は、洪水などをきっかけに、印旛沼を整備する事業が始まりました。
1946(昭和21)年に始まった印旛沼干拓事業は、1961(昭和36)年に印旛沼開発事業になり、1969(昭和44)年に完成しました。
| 出典:開拓維新記(印旛沼二期農業水利事業所制作) |
印旛沼は、上水道用水や工業用水、漁業などに利用されています。治水上はできる限り水位を下げたほうがいいのですが、下げすぎると上水道などで支障が生じます。
市川市民のクラナリは、印旛沼の堤防決壊について、「これは大変そうだ……」と思いながらも、どこか遠くの出来事のような感覚でした。
しかし、印旛沼が水源の一つであり、堤防決壊も決して他人事ではないのだとわかりました。
■主な参考資料
第2章 印旛沼の概況
上水道は、第2.3図に示した県営水道印旛取水場(第2.3図に示した“A”の地点)で佐倉市臼井田地先の印旛沼の表層水を取水し、約9.6㎞離れた千葉県企業局柏井浄水場に送水し高度浄水処理(オゾン処理+活性炭処理)を行い、利根川から取水して浄水処理した水と混合し、県営水道として浦安市の全域並びに千葉市、市川市、船橋市、習志野市及び市原市のそれぞれの一部区域に、また浄水処理を委託し印旛郡市広域市町村圏事務組合が給水している佐倉市、八街市、四街道市、富里市、酒々井町の5市町の計11市町に配水しています。
印旛沼のあらまし
印旛沼は、印旛沼開発事業(1969 (昭和44) 年竣工) によって、6,500ha もの水田が造成されるとともに貯水池化され、水管理されています。そして、千葉市や浦安市等に水道用水、京葉工業地帯等に工業用水、印旛沼周辺水田に農業用水がそれぞれ供給されています。印旛沼・利根川から取水している柏井浄水場では9 市1 町、長門川から取水している前新田浄水場では1 町1 村に給水しています。
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