【ローカルフェスのつくり方】なぜ私たちは、これほどまでに祭りに魅かれるのだろうか
洋の東西を問わず、世界各地で祭りは古くから行われてきました。
祭りが始まった理由として、私たち人間が協力して集団生活を送るために共通の物語である「神話」と、共同作業の「祭り」が必要だったからと考えられます。
『サピエンス全史』の上巻には、以下の記述がありました。
「神話は誰一人想像できなかったほど強力だったのだ。農業革命によって、混雑した都市や無敵の帝国を打ち立てる機会が開かれると、人々は偉大なる神々や母国、株式会社にまつわる物語を創作し、必要とされていた社会的つながりを提供した。人類の進化がそれまでどおりの、カタツムリの這うようなペースで続くなか、人類の想像力のおかげで、地球上ではかつて見られなかった類の、大規模な協力の驚くべきネットワークが構築されていた」
見知らぬ人同士が協力するために、人間社会の中で神様(神話)が生まれ、農業や漁業がうまくいくようにと祈ったり、日々の暮らしを感謝したりするために祭りが始まったのでしょう。
●日本の神話に描かれた祭り
『古事記』や『日本書紀』といった日本の神話には、古い時代の祭りが想像できる「岩戸隠れ」の出来事が書かれています。
太陽神の天照大御神が、弟である建速須佐之男命の傍若無人な振る舞いに怒り、天の岩戸に引きこもってしまいました。
そのため、世界から光が消えてしまいます。
これに困った八百万の神々は、天照大御神に出てきてもらうために作戦を練りました。
宴を開いていろいろと試した後、天鈿女命という女神が裸をさらけ出して踊ったところ、他の神々は大いに笑い盛り上がりました。
するとその騒ぎが気になった天照大御神はついに岩戸の中から顔を出し、世界に光が戻ったのでした。
神々が集まって開いた宴は祭りの原型、天鈿女命の踊りは神楽の原型ともいえそうです。
●祭りと関係のある神様
祖霊神
先祖(家族または親族の祖先)の霊魂。集落近くの山に宿って、常に私たちの身近にいるとされていました。
来訪神
年に一度、決まった時期に遠くから人間の世界に来訪するとされる神。「男鹿のナマハゲ」「甑(こしき)島のトシドン」などが有名です。
神話の神々
『古事記』『日本書紀』など日本の神話に登場します。
外来の神
仏様は神様ではありませんが、6世紀以降は仏教が伝来して神社では神様だけでなく仏様も祭られるようになりました。
●祭りの種類
民間信仰の祭り
農民や漁民が、豊作・豊漁を願って行いました。
政治的な祭り
祭政一致の古代社会では、ご神託を得るための政(まつりごと)として行なわれていました。また、戦勝を祈念したり、流行病の沈静化を願ったりして行われることもありました。
●演目や芸能
神楽
囃子
●江戸時代の祭り
祭りが庶民の娯楽にもなり、神輿や山車の行列、獅子舞、出店、花火大会などが行われました。神輿とは神様の乗り物で、山車は人が乗って太鼓をたたいたり踊ったりして神様のお供や先導をする役目があります。
●明治の「神仏分離令」
明治政府 は神道のみを国民の精神的要とする「国家神道」を掲げた、仏教と神道を切り離しました。
同時に、「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」で神社の仏像を破壊し、仏様と関係の深かった祭りをやめさせました。
そして、神社は国家の管理下に置かれ、伊勢神宮を頂点として天皇との関係が深い順に神社の位が定められた「社格制度」などの政策が取られました。
また、神道と仏教が交じり合って生まれた修験道は廃止されました。
明治時代に消えた祭りは多数あったと推測できます。
●昭和の「国家神道」解体
終戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により国家神道を廃止され、政教分離が推進されました。
こうして神社だけでなくお寺でも祭りが行われるようになったそうです。
●祭りの現在
宗教色が薄れ、地域のイベントに変化している印象があります。
町おこしや観光アピールを目的に各地で祭りが行われているようです。
時代とともに変化はしますが、祭りは現在も、私たち人間が協力して集団生活を送るために必要とされていて、コミュニティづくりと密接に関係していると『クラナリ』では考えています。
大自然の中では貧弱で無力だった人間の祖先は、コミュニティをつくることで肉食獣などから自分たちを守ったり、マンモスのような大きな動物を狩りして食料を得たりしたようです。
人と人とのつながりというのは、生存にも大きくかかわる私たちの本能的な欲求かもしれません。そんな欲求から祭り(フェスティバル)が生まれたために、私たちは祭りに強くひきつけられるのでしょうね。
祭りが始まった理由として、私たち人間が協力して集団生活を送るために共通の物語である「神話」と、共同作業の「祭り」が必要だったからと考えられます。
『サピエンス全史』の上巻には、以下の記述がありました。
「神話は誰一人想像できなかったほど強力だったのだ。農業革命によって、混雑した都市や無敵の帝国を打ち立てる機会が開かれると、人々は偉大なる神々や母国、株式会社にまつわる物語を創作し、必要とされていた社会的つながりを提供した。人類の進化がそれまでどおりの、カタツムリの這うようなペースで続くなか、人類の想像力のおかげで、地球上ではかつて見られなかった類の、大規模な協力の驚くべきネットワークが構築されていた」
見知らぬ人同士が協力するために、人間社会の中で神様(神話)が生まれ、農業や漁業がうまくいくようにと祈ったり、日々の暮らしを感謝したりするために祭りが始まったのでしょう。
●日本の神話に描かれた祭り
『古事記』や『日本書紀』といった日本の神話には、古い時代の祭りが想像できる「岩戸隠れ」の出来事が書かれています。
太陽神の天照大御神が、弟である建速須佐之男命の傍若無人な振る舞いに怒り、天の岩戸に引きこもってしまいました。
そのため、世界から光が消えてしまいます。
これに困った八百万の神々は、天照大御神に出てきてもらうために作戦を練りました。
宴を開いていろいろと試した後、天鈿女命という女神が裸をさらけ出して踊ったところ、他の神々は大いに笑い盛り上がりました。
するとその騒ぎが気になった天照大御神はついに岩戸の中から顔を出し、世界に光が戻ったのでした。
神々が集まって開いた宴は祭りの原型、天鈿女命の踊りは神楽の原型ともいえそうです。
| 神楽 |
●祭りと関係のある神様
祖霊神
先祖(家族または親族の祖先)の霊魂。集落近くの山に宿って、常に私たちの身近にいるとされていました。
来訪神
年に一度、決まった時期に遠くから人間の世界に来訪するとされる神。「男鹿のナマハゲ」「甑(こしき)島のトシドン」などが有名です。
神話の神々
『古事記』『日本書紀』など日本の神話に登場します。
外来の神
仏様は神様ではありませんが、6世紀以降は仏教が伝来して神社では神様だけでなく仏様も祭られるようになりました。
●祭りの種類
民間信仰の祭り
農民や漁民が、豊作・豊漁を願って行いました。
政治的な祭り
祭政一致の古代社会では、ご神託を得るための政(まつりごと)として行なわれていました。また、戦勝を祈念したり、流行病の沈静化を願ったりして行われることもありました。
●演目や芸能
神楽
囃子
●江戸時代の祭り
祭りが庶民の娯楽にもなり、神輿や山車の行列、獅子舞、出店、花火大会などが行われました。神輿とは神様の乗り物で、山車は人が乗って太鼓をたたいたり踊ったりして神様のお供や先導をする役目があります。
●明治の「神仏分離令」
明治政府 は神道のみを国民の精神的要とする「国家神道」を掲げた、仏教と神道を切り離しました。
同時に、「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」で神社の仏像を破壊し、仏様と関係の深かった祭りをやめさせました。
そして、神社は国家の管理下に置かれ、伊勢神宮を頂点として天皇との関係が深い順に神社の位が定められた「社格制度」などの政策が取られました。
また、神道と仏教が交じり合って生まれた修験道は廃止されました。
明治時代に消えた祭りは多数あったと推測できます。
●昭和の「国家神道」解体
終戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により国家神道を廃止され、政教分離が推進されました。
こうして神社だけでなくお寺でも祭りが行われるようになったそうです。
●祭りの現在
宗教色が薄れ、地域のイベントに変化している印象があります。
町おこしや観光アピールを目的に各地で祭りが行われているようです。
時代とともに変化はしますが、祭りは現在も、私たち人間が協力して集団生活を送るために必要とされていて、コミュニティづくりと密接に関係していると『クラナリ』では考えています。
大自然の中では貧弱で無力だった人間の祖先は、コミュニティをつくることで肉食獣などから自分たちを守ったり、マンモスのような大きな動物を狩りして食料を得たりしたようです。
人と人とのつながりというのは、生存にも大きくかかわる私たちの本能的な欲求かもしれません。そんな欲求から祭り(フェスティバル)が生まれたために、私たちは祭りに強くひきつけられるのでしょうね。

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