「ニューボロイチ」のルーツ、農具市の始まりは?

 いよいよ明日、Have A Good Day Motoyawataが開催されます。
 Have A Good Day Motoyawataの副題は「ニューボロイチ」。


 そもそもボロ市(ボロイチ)とは、葛飾八幡宮の例大祭の時期に合わせて開かれていた農具市の別名です。

 農具市については、日本各地の神社で開かれていた模様。ネットで調べると、千葉県ではお隣の船橋市の意富比神社(おおひじんじゃ)、南房総市の天満神社。また、新潟県南魚沼市の一宮神社、群馬県富岡市の蛇宮神社、徳島県吉野川市の寺社など各地の神社や寺で農具市の案内がされていました。

 新潟県南魚沼市の一宮神社を紹介しているサイト「雪国観光圏」には、以下の説明があります。
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一宮神社は江戸時代から「農作の神」として信仰されており、雪深い魚沼の村々から川を越え、峠を越えて雪道の中を大勢の人が参拝に訪れた。いつ頃から市が始まったのかは定かではないが、参拝客を相手に、農作業道具や生活用具を物々交換のようなかたちで売買したのが始まりではないかと言われている。明治時代以降は毎年盛大な市が立つようになった。この市を境に長かった冬に別れを告げ春が足早にやってくることから節季市とも呼ばれている。
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http://snow-country.jp/?a=eventdetail&id=135

 神社や寺のお祭りのときに、人々が多く集まるので、行商人もやって来て市を形成したようです。

 市川の歴史を扱った本をざっと見たところ、農具市に関する記述はありませんでした。
 ただ、『内匠堀の昔と今』に掲載されていたインタビューで、以下の文章を発見。
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 農具市になると、河原の私たちは八幡まで歩いていきました。南行(南行徳)の人たちは、遠いんでね、舟に女子供を乗せて、男たちが引っ張って、内匠堀を行ったそうですよ。
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 明治41年生まれの小林治兵衛さんのインタビューです。明治の終わり頃には農具市が行われていたとわかります。わざわざ出かけていったところを見ると、皆さん、とても楽しみにしていたのでしょうね。
 なお「河原」というのは当時の地名で、今では大和田と大洲の辺りになるのでしょうか。いくつか古い地図を見たのですが、けっこういい加減というか、どう考えても地名が入れ替わっているものもあり……

 さておき、江戸時代中期に成田詣でが流行したように、庶民の間で寺社参拝が行われるようになったのは、平和だった江戸時代ではないでしょうか。
 葛飾八幡宮の農具市も、江戸時代に始まったのではないかと推測しているところです。

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