行くに行けない道と「平川用水路」 市川市国分2-6付近 その2

 市川市国分2-6付近の道路の一部(50メートル程度?)が車止めで囲まれている件(詳しくはこちら)。


 SNSで問いかけたり、ネットで調べたりしてもわからず、書籍を当たることにしました。
 『暗渠マニアック!』や『はじめての暗渠散歩』など、暗渠関係の本もいろいろあるのですね。筆者はかぶっていますが……



 これらの本に「暗渠サイン」として、橋跡、水門、水車跡、護岸、車止めが挙げられていました。
 ですから「平川用水路」の石標(いしぶみ)がある道路は、ほぼ間違いなく暗渠。

 ただ、書籍にも、暗渠の一部だけを車止めで囲むという例は紹介されていませんでした。

 ここからは推測です。
 『目でみる地下の図鑑』52-53ページなのですが、舗装厚によって、道路としての強度が異なることが示されています。




 平川用水路の暗渠については、工事の際、舗装厚がまちまちだったのではないでしょうか。
 そのために見た目には同じアスファルト道路でも強度が異なってしまい、後になってから「これはヤバい!!」と一部だけを車が通れない状態にしたというわけです(あくまでも推測です)。

 たまたま通りがかった人間には強烈な違和感と興味の喚起につながるわけですが、近くに住んでいる人にとっては不便でならないですよね。


 ところで、『暗渠マニアック!』85ページに以下の記述がありました。
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 必要以上にぐねぐねとした境界があったなら、「もしや、ここは暗渠かも?」と疑ってみるべきだ。
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 必要以上にぐねぐねとした境界!
赤い点線が市川市と船橋市との境界。ぐねぐねしていますね。

 疑ってみるべきだということなので、すなおに疑いました。

 今昔マップで調べてみたところ、うーん、水田ですね。水田の脇にはたいてい細い水路があるのですが、それが地図には描かれていない可能性もあります。現在の境界には、左側の地図(965~1968年)だと黄土色の線が入っていて、小道はあったと推測できます。

 それにしても『暗渠マニアック!』。どの分野にもマニアがいるものだと感心してしまいました。

 ちなみに、下の写真は南行徳小学校の横にある「内匠堀プロムナード」。この辺りの道路は、道幅の割に歩道がやたら広く、これも「暗渠サイン」なんだそうです。







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