行くに行けない道と「平川用水路」 市川市国分2-6付近 その3
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『江戸名所図会』 |
市川市国分3丁目にお住まいの方から、以下のメッセージが届きました。
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平川用水路といえば「石橋」。
ご存知ですか?
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知りませんでした。
しかし、点と点がつながりました。京成電鉄市川真間駅の南口付近にある看板です。
看板の下の「鏡石」はレプリカというウワサも…… |
看板の文章にある「平川にかかる橋」は「石橋」を指しているわけですね。『江戸名所図会』に描かれているため、石橋と平川用水路は江戸時代後期には既に存在していたと考えられます。
冒頭の『江戸名所図会』の画像は、ツイッターで「市川考古・歴史博物館(公式)」さんが 6月22日に送ってくれました。ありがとうございます!
以前の地名を調べると、国分2丁目1~14番が「石橋下」、国分3丁目の台地の下が「石橋上」。ちなみに国分2丁目の一部と国分3丁目の一部をまたがる地域は「平川」と呼ばれていたとのこと。
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市川市サイト内「市川の地名」より抜粋 |
国分3丁目の台地を上る坂は急で細いですね |
アイリンクがかすんで見えました。手前の看板には「国分地区急傾斜地崩壊危険地域」と書かれています |
坂道は二股になっていて、片方の奥は墓地。よくあることです |
市川市国分3丁目にお住まいの方にしてみると、車止めで囲まれている平川用水路の跡(暗渠)に違和感はなかったのだそうです。子どもの頃からのことで、車で行くに行けないのは当たり前の道だったようですね。
今昔マップを見たところ、平川用水路は1995年から1998年までの間に暗渠になったと推測できます。
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青いラインがなくなっています |
そういえば、道路から松の巨木が生えている「八幡5丁目近辺。道路からニョッキリ松が生えていてとても危ない案件」についても、やはり地元の方から「子どもの頃から住んでいるので、危険だとは全く感じたことがなかった(笑)」というコメントがありました。
いやいや、誰がどう見ても危ないのでは……? |
灯台下暗し。
地元の皆さん、市川には面白スポットがたくさんありますよ。
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