石とコミュニティとの深い関係 その2 ~洋の東西を問わず、「石に魅かれる」という共通点
東京都文京区の根津神社に、庚申信仰について非常にわかりやすく解説した案内板がありました。
筋肉質の狛犬 |
外国人も多数参拝 |
境内にある乙女稲荷神社 |
案内板 |
庚申信仰の本尊である青面金剛(しょうめんこんごう) |
案内板の内容をかいつまむと……
庚申信仰は中国の道教から生まれました。
60日ごとにやって来る庚申(かのえさる)の夜、人間が眠ると三尸(さんし)の虫がその人の体から抜けて天に昇り、天帝にその人の罪を告げて命を縮めると考えられていたようです。
庚申の「申」とは、十二支のさるのこと。十二支は時刻・方角を示すのに使われていました。
そして庚申の「庚」とは、十干(じっかん)のかのえのこと。甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)があり、十二支と組み合わせて年・日を表すために使われていました。
道教の考え方が仏教と混ざって日本に入ってきて、さらに日本古来の宗教とも交じり合ったようです。
庚申信仰は江戸時代に盛んになりました。
庚申の夜は「講」の当番の家に集まりました。
講とは、おおざっぱに言えばコミュニティです。女性アイドルグループにファンクラブというコミュニティがあるように、庚申信仰を行っている人々もコミュニティをつくっていたということですね。
庚申の夜には、般若心経を唱えて一夜を過したとのこと。
根津神社の庚申塔については、道端などにあったものが、明治以降、道路拡幅などのために移されたようです。
庚申信仰の本尊である青面金剛(しょうめんこんごう)は、病魔・悪鬼を払うとしてまつられていました。
猿は庚申の神の使いで、見ざる・言わざる・聞かざるの三猿は、慎み深い深い生活をすれば、神の恵みを受けられるとされていたようです。
根津神社には6基の庚申塔が残されていたのですが、推測するに、道路工事で壊されてしまった庚申塔も多々あったのではないでしょうか。市川の大野の駒形大神社の裏には馬頭観音が大量に置かれていたほか、寺や神社の一角に庚申塔が何基も集められている光景をよく目にしてきたからです。
駒形大神社の裏 |
前回の記事では「石標や石碑を作るブームが江戸時代には巻き起こっていたと思われ、ネットコミュニティならぬ石コミュニティがあったに違いありません」と書きました。
なぜそのようなブームが起こったのか、コミュニティをつくりたいだけならば、わざわざ庚申塔を建てなくても誰かの家に集まればいいのじゃないか、といった疑問は残ります。
ただ、細工を施した石だけではなく、その辺の石(自然石)を信仰してきたという歴史が洋の東西を問わずにあるわけです。私たち人間は、石に何らかの魅力を感じるという共通点を持っているのでしょうか。
魅力の一つに、「不変性」があるのかもしれません。
人生100年時代で老後が心配の現代とは違って、私たちの祖先は寿命が短く、子どももはかなく死んでいきました(「7歳までは神のうち」といわれてきたのも、7歳まで生きられる子どもが少なかったためという説がありますね)。
自分も家族もいつ死んでしまうのかわからないという不安や悲しみは、変わらずにあり続ける石を眺め、触れることで、慰められたのかもしれません。
余談になりますが、「巨石ハンター」「巨石写真家」と名乗る人もいるようです。
■須田郡司さんのサイト
http://www.sudagunji.com/
カメラマンにもいろいろな人がいるものだと、感心することしきり。
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