石とコミュニティとの深い関係 その3 ~ルーツは道教にあり
江戸時代に建てられて今も道端にある庚申塔は、道教がルーツ。
また、漢方薬や鍼灸といった東洋医学、風水などの開運術、太極拳や気功といった健康法などのルーツも道教にあるようです。
「道教って、老子の教えだよね?」と不思議に思いました。
具体的に言い表せない宇宙の根源を探求する「道(タオ)」や何もしない「無為」を説いたという老子。
石碑を建てることや開運術、健康法とは、思想面で相反していないでしょうか。
調べていくと、「道教は老子の教え」というのは的確ではないとわかりました。
古代の民間信仰に老子や荘子の思想、仏教の思想体系がゴチャゴチャに取り込まれて、その手の趣味を持つ人たちによって続いてきた、一種の文化のようです。
ちなみに、漢方の解説でよく出てくる『黄帝内経』という医学書。
タイトルの中の「黄帝」は古代の帝王で、老子の思想と結びついて「黄老思想」と呼ばれているそうです。
そもそも老子も黄帝も実在の人物かどうかはわかっていません。
古くからのたくさんの言い伝えを、ある趣味人(思想家、小説家ともいう)が文章化し、後世の趣味人が研究をしながら展開させていったのが道教のようです。
文章化する際に、主人公というのでしょうか、老子や黄帝といったキャラクター設定が必要だったとも推測できます。
こうした道教が日本に伝わってきて、陰陽道や修験道が生まれたとのこと。
これは道教が優れていたから、あるいは素晴らしかったからというよりも、私たち人間がつい魅かれてしまうような内容が盛りだくさんだったからかもしれません。
洋の東西を問わず、教示、護符(魔除け)、天地崩壊(甲申の年、終末思想)などは古くから存在していました。人間というのは、根源的に「そういうのが好き」ということではないでしょうか。
道教を調べるきっかけとなった庚申信仰については、北宋(960~1127年の中国の王朝)のときに編纂された『雲笈七籤(うんきゅうしちせん)』に記述があるようです。
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まず世界は気の混沌未分の状態からしだいに展開分化してできあがる。(中略)混元→空洞→混沌……という展開が順に記されていて、そのあとに元気、玄気、始気の三気に分かれるとする。さらにそれが九気へと分かれつつ、日月星宿、陰陽五行、天地万物へと分化生成して世界が形成されるとする。(中略)
道教は、無先→妙一から三元へと展開分化する。その三元から天宝君、霊宝君、神宝君の三尊が誕生し、それぞれ玉清境(清微天)、上清境(禹余天)、太清境(大赤天)という三清(三天)と呼ばれる世界の主人になる。
---『中国道教の展開』 横手裕 山川出版社
『雲笈七籤』では、昔から伝わってきた以下の技法を紹介しているとのこと。
●導引法 健康体操のようなもの
●存思法 瞑想法
●守一法 宇宙の根源と一体となる方法
●服気法 五方にある五行の気などの気をイメージにより体内に導き入れる方法
●胎息法 外気の呼吸を極力減らし、体内に本来存在する「元気」を充実させ還流させる方法
●金丹法 金石を砕いて練って不老不死の薬を作る方法
●内丹法 気を養って体内で不老不死の薬を作る方法
●方薬 草木薬の調合と服用
●符図 文字や図によって鬼を操る方法
●庚申 参照→石とコミュニティとの深い関係 その1 ~インスタブームと同様、石標や石碑を作るブームが
●尸解 肉体から抜け出て、本体は仙界へと至る方法
こうした技法を眺めていると、健康長寿を達成して、どうにかして現世にしがみつこうとするのが道教のように思えます。
現世をむなしいとして、とらわれないようにする仏教とは大違い。
また道教の中でも、老子の思想は尊く、飛翔や不老不死などの能力を持つ仙人になろうとすることと、呪術のたぐいはレベルが低いと見なされてきたようです。
道教や仏教に入り込んでいる人は別として、私たちのような一般大衆は、そのときそのときで道教に魅かれたり、仏教に魅かれたりしながら、ある意味、必要に応じて生活に取り入れていたのかもしれません。
また、漢方薬や鍼灸といった東洋医学、風水などの開運術、太極拳や気功といった健康法などのルーツも道教にあるようです。
「道教って、老子の教えだよね?」と不思議に思いました。
具体的に言い表せない宇宙の根源を探求する「道(タオ)」や何もしない「無為」を説いたという老子。
石碑を建てることや開運術、健康法とは、思想面で相反していないでしょうか。
調べていくと、「道教は老子の教え」というのは的確ではないとわかりました。
古代の民間信仰に老子や荘子の思想、仏教の思想体系がゴチャゴチャに取り込まれて、その手の趣味を持つ人たちによって続いてきた、一種の文化のようです。
ちなみに、漢方の解説でよく出てくる『黄帝内経』という医学書。
タイトルの中の「黄帝」は古代の帝王で、老子の思想と結びついて「黄老思想」と呼ばれているそうです。
そもそも老子も黄帝も実在の人物かどうかはわかっていません。
古くからのたくさんの言い伝えを、ある趣味人(思想家、小説家ともいう)が文章化し、後世の趣味人が研究をしながら展開させていったのが道教のようです。
文章化する際に、主人公というのでしょうか、老子や黄帝といったキャラクター設定が必要だったとも推測できます。
こうした道教が日本に伝わってきて、陰陽道や修験道が生まれたとのこと。
これは道教が優れていたから、あるいは素晴らしかったからというよりも、私たち人間がつい魅かれてしまうような内容が盛りだくさんだったからかもしれません。
洋の東西を問わず、教示、護符(魔除け)、天地崩壊(甲申の年、終末思想)などは古くから存在していました。人間というのは、根源的に「そういうのが好き」ということではないでしょうか。
道教を調べるきっかけとなった庚申信仰については、北宋(960~1127年の中国の王朝)のときに編纂された『雲笈七籤(うんきゅうしちせん)』に記述があるようです。
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まず世界は気の混沌未分の状態からしだいに展開分化してできあがる。(中略)混元→空洞→混沌……という展開が順に記されていて、そのあとに元気、玄気、始気の三気に分かれるとする。さらにそれが九気へと分かれつつ、日月星宿、陰陽五行、天地万物へと分化生成して世界が形成されるとする。(中略)
道教は、無先→妙一から三元へと展開分化する。その三元から天宝君、霊宝君、神宝君の三尊が誕生し、それぞれ玉清境(清微天)、上清境(禹余天)、太清境(大赤天)という三清(三天)と呼ばれる世界の主人になる。
---『中国道教の展開』 横手裕 山川出版社
『雲笈七籤』では、昔から伝わってきた以下の技法を紹介しているとのこと。
●導引法 健康体操のようなもの
●存思法 瞑想法
●守一法 宇宙の根源と一体となる方法
●服気法 五方にある五行の気などの気をイメージにより体内に導き入れる方法
●胎息法 外気の呼吸を極力減らし、体内に本来存在する「元気」を充実させ還流させる方法
●金丹法 金石を砕いて練って不老不死の薬を作る方法
●内丹法 気を養って体内で不老不死の薬を作る方法
●方薬 草木薬の調合と服用
●符図 文字や図によって鬼を操る方法
●庚申 参照→石とコミュニティとの深い関係 その1 ~インスタブームと同様、石標や石碑を作るブームが
●尸解 肉体から抜け出て、本体は仙界へと至る方法
こうした技法を眺めていると、健康長寿を達成して、どうにかして現世にしがみつこうとするのが道教のように思えます。
現世をむなしいとして、とらわれないようにする仏教とは大違い。
また道教の中でも、老子の思想は尊く、飛翔や不老不死などの能力を持つ仙人になろうとすることと、呪術のたぐいはレベルが低いと見なされてきたようです。
道教や仏教に入り込んでいる人は別として、私たちのような一般大衆は、そのときそのときで道教に魅かれたり、仏教に魅かれたりしながら、ある意味、必要に応じて生活に取り入れていたのかもしれません。
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