平和への祈りと祭りと神輿
祭りの熱狂の中心には、いつも神輿があります。
ただ、神輿の周囲にはたくさんの担ぎ手がいて近づけないうえ、激しく揺さぶられているので、どんな形なのか詳しくはわかりません。
そして、そもそも神輿を担ぐ理由も知りませんでした。
市川市の行徳は神輿で有名というのに……
そのようなこともあって、神輿について調べています(現在進行形)。
○そもそも神輿とは?
神輿の「神」は神様で、「輿」は高貴な人を乗せて担ぐ乗り物です。
ですから、神様を乗せて運ぶのが神輿で、神社を模した形になっています。
○神輿の歴史
奈良時代の天平17年(745年)に、今の奈良県で、東大寺の大仏の制作が始まりました。
そして、天平勝宝4年(752年)の大仏開眼法要では、大分県の宇佐神宮から八幡大神が紫色の輿に乗って東大寺にやって来たのだそうです。
神様をお迎えするために輿を使ったので、神輿ですね。
これが神輿を用いた始まりといわれています。
その後、神事や遷宮などで神様が別の場所に移動する際に、神輿は使われていたようです。
宗教的な儀式の中に、神輿は存在したのでしょう。
そんな神輿が多様化して、庶民にとってなじみのあるものになっていったのが江戸時代。
町人たちが、祭りでは神輿を担いで町内を練り歩きました。
そして各地で競って作られるようになりました。
日本全国に数々の神輿はありますが、関東では通称「江戸神輿」が広まったそうです。
いつの時代も、祭りは庶民たちの楽しみでしたが、その担い手が激減してしまったのが1941年に始まった太平洋戦争でした。
空襲などで焼けてしまった神輿も少なくないようです。
戦後、混乱が収まり、経済成長が始まった1950年頃から祭りが再開されました。
神輿も各地で作られるようになったとのこと。
ですから、平和への願いをかなえてほしいという人々の思いも、今の神輿作りに込められているのかもしれません。
そして気の合う人も合わない人も、お金持ちもそうでない人も、みんなで力を合わせてワッショイワッショイと神輿を担ぐのでしょうね。
○担ぎ方
さまざまな担ぎ方がありますが、基本的に上下に揺すります。
これは神様を目覚めさせて、願いをかなえてもらうためなのだそうです。
ただ、元々は静かに担いでいたのではないでしょうか。貴族を乗せた輿のように。
しかし、担ぎ手がそれだとつまらなくて、「こんなんじゃ、神様が寝ちまうよ」などと言い訳をし、揺らし始めたと思うのです。
それを見て「カッコいい」と、ほかの町もまねし始め、負けじと神輿をぶつけたり、担いで海に入ったりと、やんちゃな方向にエスカレートしていったと推測します。
○構造
屋根
胴(どう)
台輪(だいわ) 土台に当たる
○製作に関わる職人
神輿師 全体の姿を決める
木地師(きじし) 神輿の骨格を作る
錺師(かざりし) 彫金を行う
鋳物師(いもじ) 金属を溶かし、鋳型に流し込んで形を作る
塗師(ぬじ) 屋根などに漆を塗る
彩色師
○製作の注意点
担ぐことが目的なので、バランスが崩れにくいように、屋根を重くし過ぎないことが大切。そのために、胴を細く作って、相対的に屋根を立派に見せようとしたそうです。
釘は一本も使わず組み木にすることで、段と段の間にすきまができます。神輿を上下した際、すきまがクッションとなって、屋根の重さを吸収するのです。
○錺(かざり)
神社を模して作られていて、ミニチュアの鳥居や駒札(こまふだ 将棋の駒のような形をした立て札)などの装飾がなされています。
鳳凰(ほうおう) 中国で尊ばれた伝説上の鳥で、神輿の屋根の上の装飾
瓔珞(ようらく) 御簾のような役割を果たす装飾
○山車との違い
神輿と同様に、祭りに登場する山車。
日本では古くから、大木や巨石、そして山などに、天から神様が降りてくると考えられていました。
祭りの場に神様を呼ぶために、仮設の山を作り、移動させるために車輪を付けたことで「山車」となったようです。
なお、平安時代の文献には「標山」(しめやま・しるしのやま・ひょうのやま)という表記で、山車についての記載があるそうです。
地域によって呼び名が異なり、私の地元福岡では「山笠(やまかさ)」、そのほか「笠鉾(かさぼこ)」「だんじり」「山鉾(やまほこ)」「曳き物(ひきもの)」とも呼ばれています。
山車は人々が引っ張って移動していき、人が乗っていることも多々あります。
一方、神輿はあくまでも神様の乗り物なので、人が乗ることはありません。
福岡では、博多祇園山笠の前になると、追い山の練習でしょうか、中学生の短距離走ぐらいのスピードで男衆が駆け抜けていく風景が見られました。間近で見ると、その速さに驚きます。
○参考資料
宇佐神宮
http://www.usajinguu.com/
大鉄
http://daitetsu-koubou.jp/jisseki/2011/07/post-5.html
ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/
『神輿』NHK出版
『神輿大全』 監修/宮本卯之助 誠文堂新光社
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葛飾八幡宮三十三周年式年大祭の神輿 |
ただ、神輿の周囲にはたくさんの担ぎ手がいて近づけないうえ、激しく揺さぶられているので、どんな形なのか詳しくはわかりません。
そして、そもそも神輿を担ぐ理由も知りませんでした。
市川市の行徳は神輿で有名というのに……
そのようなこともあって、神輿について調べています(現在進行形)。
○そもそも神輿とは?
神輿の「神」は神様で、「輿」は高貴な人を乗せて担ぐ乗り物です。
ですから、神様を乗せて運ぶのが神輿で、神社を模した形になっています。
アイ・リンクタウン展望施設に展示されている神輿を撮影(以下、同) |
○神輿の歴史
奈良時代の天平17年(745年)に、今の奈良県で、東大寺の大仏の制作が始まりました。
そして、天平勝宝4年(752年)の大仏開眼法要では、大分県の宇佐神宮から八幡大神が紫色の輿に乗って東大寺にやって来たのだそうです。
神様をお迎えするために輿を使ったので、神輿ですね。
これが神輿を用いた始まりといわれています。
その後、神事や遷宮などで神様が別の場所に移動する際に、神輿は使われていたようです。
宗教的な儀式の中に、神輿は存在したのでしょう。
そんな神輿が多様化して、庶民にとってなじみのあるものになっていったのが江戸時代。
町人たちが、祭りでは神輿を担いで町内を練り歩きました。
そして各地で競って作られるようになりました。
日本全国に数々の神輿はありますが、関東では通称「江戸神輿」が広まったそうです。
いつの時代も、祭りは庶民たちの楽しみでしたが、その担い手が激減してしまったのが1941年に始まった太平洋戦争でした。
空襲などで焼けてしまった神輿も少なくないようです。
戦後、混乱が収まり、経済成長が始まった1950年頃から祭りが再開されました。
神輿も各地で作られるようになったとのこと。
ですから、平和への願いをかなえてほしいという人々の思いも、今の神輿作りに込められているのかもしれません。
そして気の合う人も合わない人も、お金持ちもそうでない人も、みんなで力を合わせてワッショイワッショイと神輿を担ぐのでしょうね。
○担ぎ方
さまざまな担ぎ方がありますが、基本的に上下に揺すります。
これは神様を目覚めさせて、願いをかなえてもらうためなのだそうです。
ただ、元々は静かに担いでいたのではないでしょうか。貴族を乗せた輿のように。
しかし、担ぎ手がそれだとつまらなくて、「こんなんじゃ、神様が寝ちまうよ」などと言い訳をし、揺らし始めたと思うのです。
それを見て「カッコいい」と、ほかの町もまねし始め、負けじと神輿をぶつけたり、担いで海に入ったりと、やんちゃな方向にエスカレートしていったと推測します。
○構造
屋根
胴(どう)
台輪(だいわ) 土台に当たる
○製作に関わる職人
神輿師 全体の姿を決める
木地師(きじし) 神輿の骨格を作る
錺師(かざりし) 彫金を行う
鋳物師(いもじ) 金属を溶かし、鋳型に流し込んで形を作る
塗師(ぬじ) 屋根などに漆を塗る
彩色師
○製作の注意点
担ぐことが目的なので、バランスが崩れにくいように、屋根を重くし過ぎないことが大切。そのために、胴を細く作って、相対的に屋根を立派に見せようとしたそうです。
釘は一本も使わず組み木にすることで、段と段の間にすきまができます。神輿を上下した際、すきまがクッションとなって、屋根の重さを吸収するのです。
○錺(かざり)
神社を模して作られていて、ミニチュアの鳥居や駒札(こまふだ 将棋の駒のような形をした立て札)などの装飾がなされています。
鳥居 |
ご神体の鏡 |
駒札 |
鳳凰(ほうおう) 中国で尊ばれた伝説上の鳥で、神輿の屋根の上の装飾
瓔珞(ようらく) 御簾のような役割を果たす装飾
○山車との違い
神輿と同様に、祭りに登場する山車。
日本では古くから、大木や巨石、そして山などに、天から神様が降りてくると考えられていました。
祭りの場に神様を呼ぶために、仮設の山を作り、移動させるために車輪を付けたことで「山車」となったようです。
なお、平安時代の文献には「標山」(しめやま・しるしのやま・ひょうのやま)という表記で、山車についての記載があるそうです。
地域によって呼び名が異なり、私の地元福岡では「山笠(やまかさ)」、そのほか「笠鉾(かさぼこ)」「だんじり」「山鉾(やまほこ)」「曳き物(ひきもの)」とも呼ばれています。
山車は人々が引っ張って移動していき、人が乗っていることも多々あります。
一方、神輿はあくまでも神様の乗り物なので、人が乗ることはありません。
福岡では、博多祇園山笠の前になると、追い山の練習でしょうか、中学生の短距離走ぐらいのスピードで男衆が駆け抜けていく風景が見られました。間近で見ると、その速さに驚きます。
○参考資料
宇佐神宮
http://www.usajinguu.com/
大鉄
http://daitetsu-koubou.jp/jisseki/2011/07/post-5.html
ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/
『神輿』NHK出版
『神輿大全』 監修/宮本卯之助 誠文堂新光社
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