勝手にパワースポットその23 堀之内貝塚神社

堀之内貝塚神社
〒272-0837
千葉県市川市堀之内2丁目27−1


 もしかすると、縄文時代からここは信仰の場として存在し続けてきた可能性もあります。


 『交雑する人類 ― 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』(デイヴィッド・ライク著、日向やよい訳、NHK出版)によると、7万年前には5種類の人類が生きていたそうです。今を生きる私たちのDNAを調べると、その痕跡があるとのこと。

 5種類の人類の祖先は、140~90万年前に誕生したとされています。

 人類は3万8000年前に日本列島に上陸したとされているので、日本列島上陸前の歴史のほうがはるかに長いのです。

 となると、日本列島に上陸した人類には、すでに何らかの宗教があったと考えられます。宗教と関連が深いとされている埋葬の歴史については、10万年前、ネアンデルタール人が行っていたことがわかっています。

 ここからが本題。

 堀之内貝塚にある堀之内貝塚神社。
 この神社の歴史は、貝塚が作られた縄文時代後期前半から晩期中頃まで(約3800~2500年前)にさかのぼることができるかもしれません。

 歴史学者である武光 誠氏の説では、縄文人は「円の発想」を大事にし、円形を好み、円形の広場を中心に住居を設け、生活をしたのだそうです。

 山や川、木、石などすべての物には、等しく霊魂が宿っているというとらえ方も「円の発想」とのこと。八百万の神を祀る神道の考えと変わりません。

 現在の堀之内貝塚がある地域に、縄文人の集落があり、そこには宗教的な儀式を行う場所が定められていた。
 その場所は引き続き信仰の場とされてきて、神道が成立した時代には祠が作られ、鳥居が建てられ、今に至る。


 そんな可能性もあるわけです。

 今の私たち以上に、昔の人々にとっては、神や精霊など「なにか偉大な存在」が身近でした。「この場所を大切にしなければ、バチが当たる」というような感覚を、昔の人々は共有していたに違いありません。

 その痕跡はないかと観察していたのですが、外からだとまったくわかりません。誰が置いたのかわかりませんが、木像の布袋様の存在感が大きすぎます。



■参考資料

三重大学教育学部 教育心理学教室
https://educational-psychology.edu.mie-u.ac.jp/thesis/2018/ogura/first.html


ゲノム解析でわかった我々と絶滅人類との深い関係
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57351

『交雑する人類 ― 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』(デイヴィッド・ライク著、日向やよい訳、NHK出版)


※現生人類(サピエンス)の祖先はアフリカで誕生し、その後、ユーラシア大陸に広がっていったという「アフリカ起源説」が有力でした。人類の進化の中心地はアフリカ。現生人類はサハラ以南のアフリカのサバンナで誕生し、約5万年前に東アフリカの大地溝帯から紅海を渡ってアフリカを出た(「出アフリカ」)とされていたのです。

それがゲノム革命以降、現生人類については、さまざまな人類の混じり合いの中で、アフリカではなくユーラシアで誕生したという説も出てきています。

何事も、決めつけはよくないですね。そして教科書に書かれていることも、絶対に正しいとは言い切れないのです。


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