パワースポットガイド 泉養寺(市川駅北エリア)

泉養寺
〒272-0827
千葉県市川市国府台5-26-18


 泉養寺の歴史については、ホームページに詳しく書かれています。
 それを読んで、「市川市らしいエピソードだなあ」と思ったのは私だけでしょうか。

○泉養寺ホームページ
http://www.senyouji.com/


 泉養寺は、もともとは深川(東京都江東区)にありました。

 深川の地名の由来は、江戸時代に、この地を開拓した深川八郎右衛門とのこと。深川八郎右衛門の家の敷地にあった祠が、現在の深川神明宮になりました。

深川神明宮



屋根の形が神明造


 1596年に深川八郎右衛門の兄が深川元町に開いた泉養寺は、深川神明宮の「別当」なのだそうです。明治維新の前は、神仏習合、つまり神道の神様も仏教の仏様も一緒に拝まれていました。ですから、神社の敷地に寺があったり、逆に寺の敷地に神社があったりしたのです。

 別当とは神社に付属する寺で、神主とともに行事を営む社僧(別当)がいたのだそうです。

 ところが、明治維新の神仏分離によって、神道と仏教、神様と仏様、神社と寺院とをはっきり区別させるようになったわけです。
 とはいえ、 泉養寺については深川神明宮の別当であることに変わりなかったようですね。

 ただ、泉養寺は1693年に深川猿江に移転した後で、火災や洪水の被害をたびたび受けていました。

 そして決定打となったのは、1923年(大正12年)の関東大震災。火災ですべてが灰になってしまったのです。

深川神明宮と、泉養寺があった深川猿江 今昔マップより

 こうしたことから、1927年(昭和2年)に国府台へと移転することになりました。








 市川の歴史を見れば、関東大震災や1941~1945年(昭和16~20年)の太平洋戦争を機に、人口が増えています。被災した人や空襲から逃れた人が、東京の隣に引っ越してきているからです。

 永井荷風についても、1946年(昭和21年)に市川に移り住みましたが、戦争が関係していました。


 国府台は下総台地にあることから、洪水の心配はなかったでしょう。それに、湿地帯を干拓した深川とは違って、地盤もしっかりしています。さらに、東京の隣の市川ならば、深川の人も参拝しやすいと考えたはずです。

 

 泉養寺の隣にある回向院別院も、やはり関東大震災による被害が原因で、1927年(昭和2年)に移転してきたのだそうです。


 東京の隣にある、便利な市川市。そんな市川市らしい由縁だと思った次第です。

■執筆者
クラナリ
出版社に21年間勤務し、月刊誌の編集者として健康・医療・教育の分野で取材を行う。2015年に独立し、同テーマで書籍編集や執筆活動などに携わる。2018年から「暮らしと生業」がテーマのWebマガジン『クラナリ』を運営。
〇Webマガジン『クラナリ』 https://life-livelihood.blogspot.com/
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