国府台緑地が守られ続けた理由を勝手に憶測

 かつてあった厚生省(今の厚生労働省)が設置されるきっかけは、日本陸軍にあります。1938年(昭和13年)、当時の陸軍大臣である寺内寿一が提唱したのだそうです。

 「厚生省を陸軍が!?」と驚いてしまいました。


 軍隊がない今の日本では想像しづらいのですが、明治から昭和初期にかけて、国や地方行政に軍が大きな影響力を持っていたのでしょうね。

 市川は、陸軍との関係が深い地域でした。

 1886年(明治18年)、東京から陸軍教導団が国府台に移転しました。

 国府台が選ばれた理由として、東京が見渡せる高台であること、江戸川での渡河訓練などが可能なこと、そして、各種訓練に適した立地に恵まれていたことが挙げられるそうです。

冬の国府台緑地

 このことから、国府台緑地がなぜ残されたのかについて、私なりに思い当りました。陸軍の訓練に使うために、緑地をそのまま残したということです。もちろん、勝手な憶測です。








 国府台と国分の台地間に、深く入り込んだ沼があったそうで、こうした変化に富んだ地形も訓練には適していたのではないでしょうか。

市川歴史博物館で撮影

 太平洋戦争で、市川の風景は大きく変わったと聞きます。

 京成電鉄菅野駅の周囲に広がっていた桃林は伐採。イチゴ畑も水田に。じゅん菜池はたびたび干上がっていたようです。

 上の写真の地図で赤く塗られている部分は、1919年(大正8年)の頃の市街地。国府台から市川駅(当時は国鉄)にかけて赤いのは、陸軍が国府台にあったことが関係しているわけです。

 何はともあれ、国府台緑地は、さまざまな理由、利害関係から、昔からの風景を残し続けることができたのかもしれません。

■参考資料
市川市中国分自治会
http://www.nakakokubun-ichikawa.org/gaiyou/rekishi_tanpou02.html

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