海上生活を送る高度な技術を持っていた 古代本八幡の海洋民の謎 その1
古墳時代後期の集落遺跡であり、特徴は岸近くの海上に住居を築いて、漁撈中心の生活をしていたと考えられる
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えっ、海上に住居を築く? 1400年も前の古墳時代後期に、そんな技術があった??
正直なところ、この時代の人々がどんな生活を送っていたのかがイメージしにくいものです。
千葉県山武郡の芝山町立芝山古墳・はにわ博物館によると、以下のような服装だったとのこと。
https://www.haniwakan.com/tenji/2-1fasion.html
うーん、こんなファッションだと、どんな土木工事を行っていたのかイメージしにくいですね。当然、木を切るのも運ぶのも、土砂を掘るのも運ぶのも、すべて人力。便利な道具などは、まだ発明されていなかったのではないでしょうか。
古墳時代後期は、海水面が上昇した後で激しく低下したようです。
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北川浩之1995 「屋久杉の年輪の炭素同位体比から明らかとなった歴史時代の気候」 |
堤防などが作られていないこの時代では、季節によって陸地になったり海に沈んだりする土地が多かったと推測できます。
そんな土地をわざわざ選んで、海水にも流されないような丈夫な住居を築いたのですね。
現代で、海上生活(水上生活)というとアマゾン川流域。朝日新聞の記事には、2種類の木造建築が紹介されていました。
https://www.asahi.com/housing/world/TKY201009250166.html#Contents
また、旅行サイトにも、木造建築の写真が掲載されていました。
https://www.excite.co.jp/news/article/Tabizine_07569/
アマゾン川流域の木造建築は、弥生時代に作られたという高床式倉庫と似ていますね。
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Wikipediaより |
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全国各地の古墳の数(平成28年度 周知の埋蔵文化財包蔵地数より抜粋) |
文化の中心は、北九州など西日本。稲作や鉄器、さまざまな技術、文化は大陸から西日本に伝播して発達したものの、東日本はかなり遅れていたのだと。
しかし、これは『日本書紀』における印象操作で、当然、作為的なものだと、『古代史 謎解き紀行Ⅴ関東・東京編』(著/関 裕二、ポプラ社)には書かれていました。
つまりは為政者によって、都合よく歴史が書き替えられたということですね。
やはり教科書に書かれていることは、絶対に正しいとは言い切れないようですね。学び直さねば!
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