大人があえて迷子になって時間を忘れて楽しむ町 「市川真間」

 東京から千葉方面へ。

 JR 総武線の電車に乗って江戸川を渡るときに、ホッとするのは、もうすぐ家に着くという安堵感からだけではありません。

 江戸川で変わる空気感。

 川の上を吹き抜ける風のせいでしょうか。

 喧噪に満ちた東京のすぐ隣に位置するのですが、川を渡るだけで、どこかのんびりと落ち着いた雰囲気になるのです。

 明治から昭和にかけて生きた小説家である永井荷風は、都市化する東京から離れて市川に移り住んだといいます。
 かつて、東京に住む人たちにとってのリゾート地でもあった市川。

 癒しや落ち着きを求めて市川に足を運ぶのは、今も昔も変わらないのかもしれません。


町に残る古い風景と
常緑の松

 古代から交通の要所だった市川。その理由は、市川砂州(さす)にあります。

 千葉街道と呼ばれている国道14号の辺りは、古代から砂が堆積して小高くなって東西に長く広がっていたのです。
 大正の頃までは、市川のほとんどが海だったり沼地だったりしたため、人々は市川砂州を歩いたり馬に乗ったりして移動していたようです。
慶応4年(1868年)に作成された風景画「利根川東岸一覧」の一部で、当時の国府台、真間入江、市川の様子(船橋市デジタルミュージアムより)

 砂地には松が多数生えていたことから、市川は松の町でした。

 その名残が、市内のあちこちにあります。
 また、JR市川駅の北側に伸びる市川手児奈(てこな)通りは、街路樹に松が植えられていました。

 この通りには、レトロな書体が用いられた看板や、ちょっと個性的な建物が残っています。



 また、通りと交差する真間川の両脇には、ゆったりとした庭を持つ家が並んでいます。


 なぜか懐かしい。

 市川に来ると、そう感じるのは、町を構成する一つ一つの要素が昔から変わらない風景を作り出しているからかもしれません。
 普通にここに住んでいる人々の暮らしの中に、昔ながらの情緒があるのでしょう。

曲がり角の
宝庫

 住宅街が古く、いかにも「開発されました」というようにきっちり整備されていないからこそ、懐かしさがあるのかもしれません。

 一歩足を踏み入れると、車1台が通れるかどうかさえ心配になるような路地ばかり。
 曲がりくねっていて、行き先さえ見失ってしまいそうです。

いつ電柱に貼られた広告なのでしょうか?

 路地には、見るからに歴史を感じさせる家が珍しくありません。
 家事を防ぐために銅板が貼られた家は、銅板が渋い緑色になり、味を出しています。

 大人があえて迷子になり、小さな発見を楽しみながら時間を忘れて楽しむ町。
 永井荷風がやったように、あえて地図を見ずに散策するのも楽しいでしょう。




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