江戸川(江戸川放水路)にどの順番で橋が架けられたのか(2025年4月19日再構成)
台風や地震などで、「市川は江戸川で東京と分断されているんだ」と実感した人は多いのではないでしょうか。風が強ければ、橋を電車が渡れなくなってストップ。地震の際にも電車が止まり、多くの人が疲れた足を引きずりながら橋の上を歩いていました。
そんな江戸川(江戸川放水路)に架かる橋の歴史を追ってみました。
市川市内で江戸川に最初に架けられた橋だと推測しているのが、総武線(昔は総武鉄道)の江戸川橋梁。1894(明治27)年のことです。
当時は、人々は船を使って川を渡っていました。それに自動車が普及していなかったため、先行して鉄道橋が架かったのでしょう。
1894(明治27)年12月9日に、総武鉄道(明治40年に国有化、今の総武線)が江戸川を越えて本所(現在の錦糸町)に達しました。このときに、江戸川橋梁が架けられました。【鉄道】
1905(明治38)年には、木造の江戸川橋(今の市川橋)が架けられました。これは市民ではなく、陸軍のためでした。
※江戸川区郷土資料室の資料だと1904(明治37)年
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江戸川区郷土資料室 見学のしおりより |
総武鉄道の江戸川橋梁は、1907(明治40)年に架け替えられたようです。【鉄道】
当時の橋が、茨城県の五霞町にある中の島公園に展示されています。
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歴史的な鋼橋・ポニー型トラス橋についてより |
1914(大正元)年に、木造の下江戸川橋(後の今井橋)が架けられました。
※江戸川区郷土資料室の資料だと1912年(明治45年)。
1914(大正3)年に、京成電気軌道株式会社が江戸川と市川新田(今の市川真間)の間に電車を走らせました。【鉄道】
橋を架ける工事の様子です。
江戸川放水路が竣工したのは、1919(大正8)。江戸川放水路の開削によって行徳村が2つに分けられてしまったため、行徳橋が架けられました。同じ村なのに橋を渡らなければ行き来できなくなったのです。
1927(昭和2)年12月2日、木造の江戸川橋よりも南側の現在地に鉄橋を設置され、市川橋と名称が変更。
1951(昭和26)年、片側一車線のコンクリート製の橋が、現在の今井橋の50メートルほど上流側にあったのだそうです。
1960(昭和35)年、京葉道路の一之江~船橋間が開通。このタイミングで江戸川大橋が設置されたと思われます。
※江戸川区郷土資料室の資料だと、1970(昭和45)年に改修され、拡幅されたとのこと。
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京葉道路の全線開通40周年の整備効果 - NEXCO東日本より |
これは余談ですが、地下鉄東西線が、1969(昭和44)年、東陽町駅~西船橋駅間の開通に向けて、試運転を行いました。東西線が初めて千葉県に乗り入れる地下鉄路線となったそうです。【鉄道】
1972(昭和47)年千葉県道6号市川浦安線の道路橋である新行徳橋が設置。このときは有料道路で、1993(平成5)年に無料化されました。
新行徳橋が設置される前は、行徳橋の交通量が非常に多かったのではないでしょうか。
それをしのばせるのが「姉弟地蔵」。
行徳橋のすぐ近く道路(千葉県道6号の江戸川沿い)の横断歩道を渡っている姉と弟が、交通事故で亡くなってしまったのだそうです。「親の悲しみのあまり 今後交通事故のないやう 心より祈り 姉弟地蔵を建立す」と書かれていました。1972(昭和47)年12月のことです。
「運転手さん あなたが守る小さな命 友は作るものなのにここで友をふたり失いました」と、当時の富川 進市長の名前とともに刻まれています。
1972~80(昭和47~55)年、東京湾岸道路(国道357号)の市川大橋が順次施工。
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国道357号 東京湾岸道路 より |
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グーグルマップ航空写真より |
1973(昭和48)年、東京地下鉄東西線の第二江戸川橋梁が竣工。【鉄道】
1979(昭和54)年、現在の場所に今井橋が架けられました。
※江戸川区郷土資料室だと1981(昭和56)年。
2019(平成31)年3月19日、妙典橋が開通。
2020(令和2)年3月10日、架け替えられた新しい行徳橋が開通。2025年の時点では、市川市内で江戸川に架かる最も新しい橋となっています。
■参考資料
メトロアーカイブアルバム
東京の橋
Wikipedia
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