里見公園周辺の道路事情は、江戸時代と今じゃ大違いだったんじゃないのか

  市川大百科事典の「羅漢の井」項目に収載するため、写真を撮影してきました。

 羅漢の井の横には、市川市の案内板があり、例のごとく、1836年(天保7年)に刊行された『江戸名所図会』にある風景画も載っています。

 この絵を見て、疑問を抱きました。明らかに、羅漢の井の周辺の様子が、現在と違うのです。


 案内板だと、今一つわかりにくいため、ネットで『江戸名所図会』の元の絵を検索しました。国立国会図書館デジタルコレクションに、『江戸名所図会』は収められています。

国立国会図書館デジタルコレクションより

 木枠が描かれていて、これが羅漢の井。そして左側から水が流れ出て、すぐ下の川に注ぎ込んでいるのです。

 『江戸名所図会』が完成してからおよそ30年後の、1868年に描かれた浮世絵「利根川東岸一覧」で、羅漢の井を確認してみましょう。ADEAC 船橋市デジタルミュージアムに「利根川東岸一覧」は収められています。

ADEAC 船橋市デジタルミュージアムより

 少なくとも、2つの木枠が描かれていて、その脇に急な坂の小道がうねるように通っている様子です。
 「らかん水 里見軍用ノ水畄」と記載されています。 畄(「ツ」と「田」)という漢字は「留」の簡易字体とのこと。ですから、「里見軍用に水をとどめる場所」と書かれていると考えられます。

 それにしても、険しい断崖絶壁。現在の松戸街道と思われる道は描かれていますが、江戸川沿いに道はありません。

江戸川沿いの道。右側の木々が里見公園で、右に上ると羅漢の井がある

 1903年(明治36年)作図の地図(下の図の左側)を見ると、江戸川沿いの道があります。
今昔マップより

 以上から推測すると、1885年(明治18年)に陸軍教導団の移転が決まり、軍事道路である松戸街道とともに、江戸川沿いの道も建設されたのでしょう。

関連項目
市川市のガイドブックには決して載っていない話  ~松戸街道https://life-livelihood.blogspot.com/2020/11/blog-post_21.html

■追記
 『江戸名所図会』に彩色してみました。

 よく見ると、当時は松がたくさん生えていたことがわかります。
 一番上の人物が水を汲みに来た地元の人。
 井戸を囲んでいるのは、観光客と思われます。お坊さん(おそらく総寧寺)が、羅漢の井について説明している様子です。

 『江戸名所図会』に描かれているのは、「利根川東岸一覧」に描かれている一番上の井戸で、「利根川東岸一覧」の下の木枠は貯水槽だった可能性が考えられます。というのも、『江戸名所図会』左下に描かれている、流れ落ちる水の量がハンパなく多いからです。もちろん、誇張されているでしょうが。

 
 

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