1300年前の国府台の断崖絶壁を再現してみたいのだ 1 浮世絵に描かれた崖(クラナリ)

 1300年前の国府台の崖はどんな形だったのか。
 里見公園の周りをうろついたり、資料を探したりしながら、考えてきました。
 参考にしたのは、浮世絵。国府台の断崖絶壁は消えたのか、そもそもなかったのか問題 でも浮世絵など江戸時代の資料をベースに、かつての国府台の風景に思いを馳せました。

版画「名所江戸百景 鴻之台とね川風景」文化遺産オンラインより

 ただ、浮世絵を眺めながら思ったのです。いわゆるパクリではないかと。

 理由は、構図がほぼ同じだからです。
 それでネットで調べたところ、実際の景色を見ずに描かれた浮世絵も存在するようです。

浮世絵は実景描写か
種本を写すことと、実際の景色を写すことを、彼らは同じ意識のレベルで操作していた。だから、種本があるから写したのでなく、 種本をもとに本物らしく描いている。それだけは確かだろうと思います。


 国府台の崖について、上記の「種本」は、『江戸名所図会』と推測します。『江戸名所図会』には羅漢の井など各地のスケッチが収載されているため、「実際に行った」と考えるのが自然です。
 『江戸名所図会』は発刊当時、大ヒットしたとのことで、浮世絵師たちも入手して参考にしたのかもしれません。

 そんな『江戸名所図会』に掲載されている国府台の崖の絵がこちら。

国立国会図書館デジタルコレクションより

 また、浮世絵師たちは、自分が見た風景と『江戸名所図会』をミックスしたケースもありそうです。

 冒頭で紹介した版画「名所江戸百景 鴻之台とね川風景」については、崖と江戸川が入ってくるこのアングルで、富士山は入らないと考えられます。作者である江戸時代の浮世絵師、歌川広重は、国府台から実際に自分が見た富士山と『江戸名所図会』を重ね合わせたのかもしれません。
 ちなみに、『江戸名所図会』は1834~1836年(天保5~7年)に刊行され、歌川広重は、1797~1858年(寛政9~安政5年)を生きた人なので、可能性はあるでしょう。
国土地理院地図より

 上の地図は、北側から見た下総台地(里見公園周辺)。浮世絵は、白い矢印から描かれたアングルとなるのですが、ここから崖を見ているのならば、富士山はアングルに入りません。



 いろいろと検討する点もありますが、あくまでも純粋にエンターテイメントの立場で、崖を再現できたらと考えています。
 それも、真間側(南側)から見た崖。浮世絵などとは反対側になります。
 推測では、江戸川(当時は利根川)の堤防がなかったために、以下の写真のように背の高い草が自生して、「絵的にはちょっと……」という風景だったのではないかと。足元も悪いので、ここでスケッチする気にもならなかったのかもしれません。
 なお、この写真は、稲荷木付近から撮影した江戸川で、対岸は江戸川区です。

 真間側から見た国府台の風景は、次のようになるでしょう。
○奥には台地。斜面は切り立った崖
○手前は湿地帯で、草が自生
○湿地帯の一部に砂がたまって細い道ができていて、松が自生
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