【コミュニティづくり再入門】 市川市学習交流施設 市本で「地域コミュニティづくり」を考える2 施設の目的は何だったのか?
そもそも、地域コミュニティとは何なのか?
コミュニティは「共同体」と訳されるケースがほとんどです。しかし、普段の生活で「共同体」という言葉を使わないし、この訳でピンと来る人は、どのくらいいるのでしょうか。「私たちは共同体の一員です」と言われても、「はぁ、そうなんですかね……」と実感が湧きません。
コミュニティについて定義しようとすると、言葉遊びに陥る可能性もあります。ですから、自分の身の回りに存在するコミュニティを観察するほうが、意味の把握につながりやすいと考えられます。
コミュニティの実態については、総務省の「地域コミュニティの現状と問題(未定稿)」で、非常にわかりやすくまとめられています。内容もさることながら、文章も丁寧でわかりやすく、すばらしいと思います。
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| 「地域コミュニティの現状と問題(未定稿)」より |
コミュニティづくりには、実はブームがあります。
第一次ブームは、1970年頃に起きました。第二次世界大戦の後、GHQの指令によって町内会は解散しました。ただ、「困ったときは、お互い様」の精神が廃れることはありませんでした。食糧の配給などの地域活動が行われ、非公式に町内会的な関係性は保たれていました。
1969年に国民生活審議会調査部会コミュニティ問題小委員会が「コミュニティ―生活の場における人間性の回復―」を、1970年には自治省が「コミュニティ(近隣社会)に関する対策要綱(案)」という報告を発表。そして、国や地方自治体がコミュニティ政策に取り組んできたのだそうです。
第一次ブームは、戦後日本の高度経済成長と、それに対応する地域社会の変化が引き金で起こったと考えられます。
第2次ブームについては、急速な少子高齢化と関係していることは明らか。
人口減少の影響が大きく受けて、地方自治体の財政運営が破綻するリスクが高まっています。『地方消滅』(中公新書)では、「896の自治体が人口減で消滅しかねない」と増田 寛也氏が警告しています。
財政破綻で有名になったのが、北海道夕張市。2007年に財政再建団体に指定され、国の管理下に置かれています。最低限の行政サービスしか行えないため、「こんな市に住んでいられない」と人口流出が続いています。令和3年度の人口総数は7145。ちなみに、平成19年(2007年)度は12307で、このときの58%にまで減少しています。財政破綻してから、半分近くにまで人口が減ったということ。『『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』(講談社)の著者である河合雅司氏などは、実は"日本の最先端"を突き進んでいるのが、こうした地方都市だと述べていました。
東京の隣、千葉の辺境の市川市では、人口が緩やかに増えていることが、市川市のサイトの情報からわかります。市川市については、今のところ、行政も市民も「人口減で消滅」の危機感は乏しいと考えられます。
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| 市川市 人口よりグラフ作成 |
そんな市川市の「地域コミュニティ」の課題は何なのか?
人口は多いものの、長く住み続ける人や市川市で活動する人(昼間人口)が少なく、市民同士のつながりが希薄であることだと考えられます。「地域コミュニティの現状と問題(未定稿)」でも、同様のことが指摘されていました。
『クラナリ』vol.2「ローカルフェスのつくり方」でも取り上げましたが、「東京で働いて遊んで、寝に帰るだけの市川」の傾向は強いという印象です。
開設から1年4カ月ほどで廃止することになった「市川市学習交流施設 市本(いちぼん)」。この施設に求められたのは、「地域コミュニティ」の運営だったことは、NHKの記事に掲載されていた村越祐民前市長のコメントから推測できます。
公民館などの公共施設は、高齢の方のサークルなどでの利用が中心になりがちです。幅広い年代層の市民が、継続・反復して立ち寄れる施設を作りたいと、本を切り口に作ったのが『市本』でした。
さらに、市川市のサイトでは、コミュニティマネージャーと呼ばれるスタッフが市本にいると書かれています。
コミュニティマネージャーは資格ではなく役職のようです。『コミュニティマネージャーの仕事』(翔泳社)には、仕事内容が以下のように説明されていました。
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| 『コミュニティマネージャーの仕事』より |
以上のことから、市本は文化施設としてではなく、公民館に近い地域交流施設として開設されたと考えられるのです。
もちろん、文化施設で地域交流に関する活動が行われることはあります。文化施設と地域交流施設との違いは何か、次回で考えたいと思います。
■参考文献



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