パワースポットガイド 国府台天満宮(市川駅北エリア)
国府台天満神社
〒272-0827 千葉県市川市国府台3丁目11−11
六所神社と同じく、明治に移転された神社です。
案内板には、戦国武将の太田道灌によって法皇塚の上に国府台天満宮が建立されたと書かれていました。
移転の際に、土地が無償で譲られた(譲典)のでしょうか? 石碑の裏にはちょっと行ける状態ではなく、確認はできませんでした。 法皇塚古墳(〒272-0827 千葉県市川市国府台2丁目8−8)は、東京医科歯科大学構内にあります。
古墳と神社。
この組み合わせは珍しいものではなく、東京の武蔵府中熊野神社古墳も有名です。
なぜ古墳に神社を建立したのか?
同志社大学の森浩一名誉教授は、「古墳の意義が忘れられつつある時期での新しい信仰が生みだした参詣の形態であろう」と説明しているようです。
戦国時代の太田道灌は、古墳が墓だったとは知らなかったと考えられます。古墳時代は3世紀中頃から7世紀頃までとされていて、1432年生まれの太田道灌には遠い昔のもの。600年ほど前の墓という点だけでなく、戦乱の時代に歴史に興味を持ったり研究したりする余裕はなかったはずです。
「周囲の土地とは違うし、なんだかパワースポットっぽいぞ!」と、法皇塚の上に国府台天満宮を建立したのでしょう。
ときどきネット上で、古墳と神社の組み合わせに変な意味を持たせる意見に遭遇するのですが、「古墳とは知らずに」が実情のように思われます。
■参考資料
レファレンス協同データベース
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000170926
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000170926
森浩一 著『古墳と古代文化99の謎 : 巨大な墓づくりに、なぜ狂奔したか』
■執筆者
クラナリ
出版社に21年間勤務し、月刊誌の編集者として健康・医療・教育の分野で取材を行う。2015年に独立し、同テーマで書籍編集や執筆活動などに携わる。2018年から「暮らしと生業」がテーマのWebマガジン『クラナリ』を運営。
〇Webマガジン『クラナリ』 https://life-livelihood.blogspot.com/
Leave a Comment