1300年前の国府台の断崖絶壁を再現してみたいのだ 7 まずは絵にしてみた



 堤防がない時代なので、江戸川(当時は太日川)と東京湾の海水が混じり合う汽水域が広がっていたと推測しています。潮の満ち引きや雨の降り方で、水浸しになったり、陸地になったりする範囲ですね。

 内閣府の資料だと奈良時代の人口は約450万人(600万~700万人という説も)。2022年1月1日現在の千葉県の人口が627万2900人とのことなので、日本の総人口は今の千葉県よりも少なかったわけです。

 奈良時代の人口密度については、1km²当たり12人。南米のボリビアとだいたい同じ人口密度ということになります。まあ、ボリビアを持ち出されてもピンと来ない人がほとんどでしょうが(『クラナリ』編集人も然り)。

 歴史を振り返ると、今の市川市ではあたりまえのこと、例えば「交通の便がよい」「なにかと便利」「視界から民家が消えることはない」「夜も明るい」「通勤ラッシュが苦痛」という状態が、ずっと続いてきたわけではないとわかります。むしろ、長い歴史において、「今のほうがおかしい」ということもあるのです。
 これからの市川市も、「ずっとこのまま」ということはあり得ません。絶えず変化していき、私たち住民は「あの頃はよかったのに」などと文句を言いながら、ちゃっかり適応して生きていくのでしょう。


■参考資料
内閣府資料
 
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