「市川駅南口アーケード街を巡る時間旅行」シリーズは、単純に「昔ながらの商店街」を礼賛しているわけではありません

 「市川駅南口アーケード街を巡る時間旅行」シリーズを、『クラナリ』では19回+α掲載してきました。すべてを読んでもらえればわかると思いますが、「昔ながらの商店街」を礼賛しているわけではありません。市川駅南口地区市街地再開発事業(以下、南口再開発)の是非を問うものではなく、商店街と暮らし・生業の変遷をテーマにしています。


 南口再開発の背景にあったのは、防災。1970年代に、市川駅南口で火災が起こりました。しかし、道が狭いために消防車が入れない事態になったそうです。このことから、消防車や救急車などがスムーズに入ってこられるような、駅前ロータリーを作ることが課題になったとのこと。

 防災という観点では、もう一つ、南口再開発に意味があったのではないかと考えています。
 2011年3月11日に起こった東日本大震災。津波の怖さを、まざまざと感じさせる出来事でした。
 当時、保育園児など幼い子どもがいる家庭では、「市川市で津波が起こったら、どこに逃げるのか」について話題になりました。避難所候補の一つとして挙がったのが、JR市川駅南口のペデストリアンデッキでした。

 このように、市川駅の南口が再開発されることで、火災が防げるだけでなく、災害時の拠点もできたのではないかと、個人的には考えています。個人経営の集まりである商店街を、災害時の拠点にするのは厳しいのではないでしょうか。
開発事業が始まる京葉ガス市川工場跡地から見たI-linkタウンいちかわ



 もちろん、昭和の香りが漂う商店街には、強い魅力を感じます。
 そして、スタートアップする場所として、商店街は機能していたと考えています。家賃が安く、同じ商店街には商売の先輩がいるわけです。「なにか商売を始めよう」と考えたときに、第一候補に挙がるのが商店街だったでしょうし、実際、商店街の小さな店舗から商売を始めて、顧客が定着したら広い店舗に移転するケースは少なくありませんでした。

 ただ、シャッター商店街が問題になっているように、現在では店主が高齢化しているものの事業継承者が見つからず、放置されている店も多いと報告されています。
 また、劣化してしまった建物を使っていれば、北九州の旦過市場のように、大火災が繰り返し起こるリスクもあります。

 そのため、「昔ながらの商店街は味があるよね」「残さなきゃだめだね」と単純に礼賛するつもりはありません。
 また、消えていくもの、そして消えてしまったものにこだわると、未来に目を向けられなくなるでしょう。

 昔のほうがにぎわっていたとするならば、商店街には「レジャースポット」という要素もあったからかもしれません。
 買い物をする目的はなくても、ちょっとぶらつくだけで楽しい。だから商店街になんとなく足を運んだ人も多かったのではないでしょうか。
 また、商店街もさまざまなセールやイベントを行って、「レジャースポット」感を演出していたと考えられます。
 結果として、さまざまな人が訪れて、結びつき、そして地域コミュニティが形成されていったのでしょう。

 ただ、あくまでも商店街は商いの場。セールやイベントで人が集まっても、商店の品物やサービスが売れず、経営が成り立たないとしたら本末転倒です。
 それに、商店街の維持を行政などに頼るのも、やはり本末転倒。地域コミュニティのための商店街ではなく、生業のための商店街ではないでしょうか。「地域のつながりができる」は、あくまでも結果であり、目的ではないと考えます。

 多くの人が聞き飽きているでしょうが、少子高齢化が急速に進む人口減少時代を迎えています。
 ですから、未来の商店街についても考えるため、当時の建物の特徴や、今の地図との違いなど、さまざまな観点を取り入れたいと考えています。
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