JR市川駅と東京メトロ妙典駅のまちづくりを比べてみよう 

 市川市内については、全体的に宅地化が進んで、町の風景は画一化しています。
 梨畑が建売住宅になる。庭つきの一軒家だった土地が、2つ3つに分けられて、やはり建売住宅になる。そんな様子を眺めて、少し寂しく思っていました

 その一方で、松戸市との市境と、浦安市との市境などとでは、雰囲気という言葉では表現し切れない、土地に備わる「エナジー」の違いが、今もなお残っているという印象を持ちました。
 エナジーが違う理由は、図書館の蔵書などに記録されています。

 例えば、市川駅と妙典駅。

 1894(明治27)年の総武鉄道市川駅の開業には、国府台周辺にあった陸軍の施設が大きく関係しているのではないかと、勝手に思っています。市川駅から陸軍の施設までの道路は、商店が多数あり、花街も形成されていました。そのため「陸軍ありきで町が発展した」という一面があります。
『松井天山の鳥瞰図と市川市域 市制施行80周年記念平成26年度企画展』より

※『松井天山の鳥瞰図と市川市域 市制施行80周年記念平成26年度企画展』は図書館の蔵書


 一方、東西線によって人口が増え、町が発展し、2000(平成12)年に開業したのが帝都高速度交通営団東西線妙典駅。アメリカ西海岸をイメージしたまちづくりを目指したのだそうです。

 また、1902(明治35)年から1965(昭和40)年頃まで、市川駅の南側はイチゴの産地で、「市川の朝摘み苺」として有名だったそうです。
 そして、妙典駅の南側は、1975年(昭和50年)頃まで、秋から春にかけて海苔の養殖、春から秋にかけてはレンコン栽培と、半農半漁の形態だったとのこと。

 今の市川駅と妙典駅の周辺ではイチゴ畑もレンコン畑も見かけなくなり、住宅地が広がっていますが、町の「エナジー」は違いは感じられるはずです。



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再び訪れる未来  ~市とco,do motoyawataとローカルメディア

■参考資料
総武鉄道高架延長線計画の沿革に関する研究
鉄道で行く千葉 京葉銀行
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