夢か、狂気か「ネオ・トウキョウ・プラン」その1 実現していたら市川市の一部は「江戸川・船橋区」になっていた?(2025年5月10日再構成)


『東京湾2億坪埋立についての勧告』をもとにクラナリが作成

○鹿野山(かのうざん、君津市にある山)と鋸山(のこぎりやま、富津市にある山)を崩して、房総半島を平地にする
○鋸山を崩す際には、核爆発を利用する
○東京湾の3分の2に当たる2億坪を埋め立てる
○埋め立て地を新首都「ヤマト」とする

 こうした「ネオ・トウキョウ・プラン」を盛り込んだ『東京湾2億坪埋立についての勧告』が、1959(昭和34)年7月29日に産業計画会議委員総会で発表されました。産業計画会議とは、実業家の松永安左エ門(まつながやすざえもん、1875-1971)氏が主宰した、私設のシンクタンクです。
第7次勧告「東京湾2億坪の埋め立てについての勧告」(編/産業計画会議 ダイヤモンド社)



 『東京湾2億坪埋立についての勧告』の編者は産業計画会議ですが、中心となって取りまとめたのは加納久朗(かのうひさあきら、1886-1963)氏です。加納氏は、日本住宅公団(現・UR都市機構)初代総裁や千葉県知事を務めました。冒頭で述べた4項目が、『東京湾2億坪埋立についての勧告』に収載された「東京湾埋立についての加納構想」で書かれています。「加納構想」なので、当然、筆者は加納氏なのでしょう。

 ネオ・トウキョウ・プランが実現していたら、市川市の一部は「江戸川・船橋区」になっていたかもしれません。どのような内容だったのか、今わかる範囲で調べてみました。

※『東京湾2億坪埋立についての勧告』は一般財団法人電力中央研究所のサイトで公開されています。
https://criepi.denken.or.jp/intro/recom/recom_07.pdf?v2

 東京湾を埋め立てるために山を核爆発で壊すなど、今を生きる市川市民の感覚だと「狂気をはらんでいる……」という発想です。これについては、ネオ・トウキョウ・プランが作成されたのが昭和30年代ということも関係しているのかもしれません。昭和30年代には、現代の感覚では受け入れられないような突飛かつ衝動的、ときどき狂気とも思われる事業が多数行われていました。

 「東京湾埋立についての加納構想」には、当然、「自然保護」という観点が欠落しています。
 核を利用して山を吹き飛ばし、東京湾を埋めるのですから、生態系は破壊されてしまいます。湾内に作る小島には「緑地帯」を設置するようですが、そのプランもなかなか……
スギの林,あるいはマツの林,あるいはクヌギの林,あるいはケヤキの林,あるいはクスというふうに,一種類ずつ異なった森林を作るのがよいと思います。

『東京湾2億坪埋立についての勧告』 
https://criepi.denken.or.jp/intro/recom/recom_07.pdf?v2

 水はけの悪い埋め立て地で、こんな林をどうやって維持する計画だったのでしょうか。

 また、職業蔑視も含まれていました。
 この間私は浦安町に行ってみた。(中略)その非衛生的で狭苦しい,臭い小さな住居は実に気の毒なものである。近代教育を受けて将来のある子供たちがいつまでもああいう職業に満足するわけはない。


 

1960年前後の浦安の風景(写真/千葉県立中央博物館 古写真デジタルアーカイブ




 なお、『東京湾2億坪埋立についての勧告』の中で「狂気をはらんでいる……」という文章は「東京湾埋立についての加納構想」ぐらいで、その他は綿密に計算されたプランが盛り込まれています。ときどき「わけのわからぬもののゴミタメ式集団」といった表現が出てきて、驚くわけですが(第3次産業についての表現)。
 また、土地買収などは、金さえ払えばトラブルは解決するというニュアンスでまとめられています。

 東京湾を埋め立てるネオ・トウキョウ・プランで出来上がる新都市は、その役割に応じて「ユニット」が組まれます。現在の市川市の沿岸部は「江戸川・船橋区」に含まれることになっていて、浦安や市川といった地名は、新都市では消えることになっていました。

 そんなネオ・トウキョウ・プランについての新聞記事が、『東京湾2億坪埋立についての勧告』に「反響」として載せられています。

日本経済新聞 中外春秋「根本的な国土計画案の具体化を」
 東京の埋立によって新しい工場,住宅用地を造成する案は,この正月あたりから加納久朗氏によって提唱されているので,だれも驚かないが,松永安左エ門翁の産業計画会議でもこれを取上げて,さらに具体的な案を発表した。

朝日新聞 天声人語「産業計画会議の構想に対して」 昭和34年8月3日
"埋立て病"がこうじすぎるのではありませんか

 天声人語で書かれた批判については、産業計画会議専任委員の堀 義路氏と事務局長の前田 清氏が反論していました。
 最後にわれわれの主張は,単なる思いつきや腰だめの議論ではなく,この計画の作成は,500日の日時と100人以上にのぼる各界のエキスパートの方々の御検討,御協力をえて,得られた結晶なのである。

 この一文から、ネオ・トウキョウ・プランにはかなりのコストがかかっていると推測できるます。


 ネオ・トウキョウ・プランは、1970年代のオイルショックによる経済の混乱などで立ち消えになりましたが、東京湾アクアラインはその名残なのだそうです。
東京湾アクアライン(Googleマップより)


※冒頭の「ネオ・トウキョウ・プラン」の画像は『東京湾2億坪埋立についての勧告』に掲載されているフォントに似せてクラナリが作成したものです。
※『東京湾2億坪埋立についての勧告』は、一般財団法人電力中央研究所のサイトにPDFがありました。ネオ・トウキョウ・プランを特徴づける計画図を手っ取り早く見たいのならば、読売新聞の記事(参考資料)がお勧めです。 


■参考資料
幻の「ネオ・トウキョウ」とは? 埋め立てで新都市構想 戦後の人口増対策予算面で頓挫

Wikipedia

Powered by Blogger.