首都圏の一つとしての市川市
東京の隣にある、千葉県市川市は、首都圏に含まれます。
首都圏については、1956(昭和31)年に首都圏整備法が制定され、「首都圏の建設とその秩序ある発展を図るため必要な首都圏の整備に関する計画」である首都圏整備計画が策定されました。
首都圏整備計画は、首都圏整備法(昭和31年法律第83号)に基づいて策定される計画であり、 我が国の政治、経済、文化等の中心としてふさわしい首都圏(東京都、埼玉県、千葉県、神奈 川県、茨城県、栃木県、群馬県及び山梨県)の建設とその秩序ある発展を図ることを目的としたものである。
![]() |
首都圏構想素案-首都圏構想概念図(1955年、三大都市圏政策形成史編集委員会編『三大都市圏政策形成史』より) |
「平成15年度首都圏事業計画参考図」には、市川駅南口地区市街地再開発も掲載されていました。
![]() |
平成15年度首都圏事業計画参考図 |
首都圏整備法と絡んでいるのではないかと思われるのが、都市再開発法です。老朽化した建物が多い市街地を再開発して、高度利用を図り整備することを目的として、1969(昭和44)年に市街地再開発事業について定められました。
「高度利用」の「高度」は主に高さのことで、土地が細分化されて、低層の建物が密集している市街地で、土地を集約して再開発を行い、いわゆるタワマンのような高い建物を建てられるようにすることです。
都市再開発法は、我が国において戦後復興後の高度経済成長期が続き、都市部における人口の過密化や都市環境の悪化などが問題となっていた昭和44年(1969年)に公布・施行された。その後、バブル経済の崩壊、少子高齢化による人口減少社会の到来、中心市街地の衰退、リーマン・ショック、地方都市を中心とした地価の下落、大震災の発生など社会経済情勢の変化に伴って都市が抱える課題や国民のニーズも多様化し、それに合わせて都市再開発法についても見直しが図られてきた。
昭和50年(1975年)の都市再開発法の一部改正により、市街地再開発事業は制度的に大きく拡充され、事業実績も蓄積されたが、深刻な都市問題に対処するための既成市街地の整備が必ずしも順調に進まなかったこと、各界から都市再開発の積極的な推進に関する提言、要望等が相次いだこと等を踏まえ、昭和55年(1980年)の都市再開発法の改正により所要の措置を講じた。既成市街地における都市環境の未整備、災害の危険性、職住の遠隔化、交通混雑等の都市問題を克服するため、都市の再開発は既成市街地全体の中で再開発を要する地域について、その緊急性に応じて早急に実施することを基本として、①都市構造の再編、②良好な居住環境の形成、③都市の防災構造化、④良好な市街地住宅の供給、⑤公共施設の整備の推進を目標として積極的に推進することと(後略)
「既成市街地の整備が必ずしも順調に進まなかった」という文言から、再開発を早く進めるために、1980(昭和55)年に都市再開発法の改正が行われたようですね。
こうして各地で再開発事業が進められました。当時の市川市の市長は、高橋國雄市長。第17~21代市川市長で、在任期間は1977~1997(昭和52~平成9)年と、なんと20年間!
![]() |
第17~21代市川市 高橋國雄市長(市川市名誉市民・市民栄誉賞より) |
市川駅南口の再開発の動きは、1980(昭和55)年の市川駅南口地区市街地再開発等調査で始まります。
本八幡駅北口についても、同じ時期に始まったようですね。
本八幡A地区第一種市街地再開発事業昭和54年 都市再開発事業基礎調査(整備モデル地区に設定)昭和55年 地元懇談会設立平成 3年 8月 再開発準備組合設立平成18年 3月 都市計画決定(事業)平成18年 5月 都市計画決定(地区計画)平成19年 5月 組合設立認可、事業計画認可平成22年 1月 権利変換認可・公示平成22年 8月 建築工事着工(1期)平成25年 5月 建築工事完了(1期)平成25年12月 建築工事着工(2期)平成27年 8月 建築工事完了(2期)平成28年 6月 組合解散認可
本八幡B地区優良建築物等整備事業昭和55年 地元懇談会設立昭和59年 協議会発足昭和61年 再開発準備組合設立平成元年 準備組合凍結平成11年 再開発協議会設立平成17年 事業計画作成平成18年 実施計画・権利調整計画平成18年10月 施設建築物工事着工平成21年 3月 施設建築物工事完了
1985(昭和60)年のプラザ合意で円高が急激に進行し、株価が急伸。同時に、低金利を背景に地価が高騰し、地上げ屋による土地転がしが問題になりました。
1990(平成2)年頃に始まったバブル崩壊で、1995(平成7)年には住宅金融専門会社が破綻しました。
さらに、2008(平成20)年9月15日にリーマン・ブラザーズ・ホールディングスが破綻して、リーマン・ショックが起こります。
経済状況が激しく波打つ中、「本八幡A地区第一種市街地再開発事業」は1979~2016年の37年間、「本八幡B地区優良建築物等整備事業」1980~2009年の29年間をかけて進められてきました。
今回の「本八幡駅北口駅前地区第一種再開発事業」はJR本八幡駅の目の前だからでしょうか、他の地区から遅れて始まった形となります。
2020(令和2)年3月11日から、新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的な大流行)が始まり、経済が大きく停滞しました。
そんな中、再開発事業が進められていたようです。
2017~2018(平成29~30)年 勉強会実施2019(令和1)年6月 (仮称)本八幡北口駅前地区 まちづくり検討会設立2021(令和3)年2月 まちづくり方針(案)準備組合の区域を議決2021(令和3)年3月 準備組合設立2023(令和5)年3月 住民説明会実施(準備組合主催)2023(令和5)年9月 公聴会(予定)※申出があった場合2023(令和5)年11月頃 案縦覧、意見書の提出(予定)2024(令和6)年3月 都市計画決定(予定)
冒頭で紹介した首都圏整備計画については、1999(平成11)年3月に策定された第5次首都圏基本計画以降、作成されていないようです。
![]() |
首都圏基本計画の経緯 |
首都圏である市川市の再開発については、地元の人だけでなく、市川市、そして千葉県・東京都など大きな枠組みの中で進められてきたという側面もありそうです。ただ、最後の首都圏整備計画が25年前のものという点から、首都圏という枠組みは、緩くなってきているのかもしれません。
Leave a Comment