市川市大百科事典 き 行徳競馬場

 行徳競馬場 ぎょうとくけいばじょう

 千葉県東葛飾郡行徳町地先塩田跡(現在の市川市原木)に建設された競馬場。1923(大正12)年7月以降に建設され、同年9月1日の関東大震災による津波で流された。

 松戸競馬場が、1919(大正8)年に東葛飾郡中山村大字若宮(今の市川市若宮)へ移転し、翌年に中山競馬場という名前になった。
 1923(大正12)年7月1日、中山ほか全国11の公認倶楽部に対し国は馬券の発売を認可。その矢先、中山競馬倶楽部内に内紛が勃発し、新しく実権を握った勢力が東葛飾郡行徳町(今の市川市)の塩田跡に競馬場建設を開始。しかし、同年9月1日の関東大震災による津波で、完成間近の競馬場は流失。それでも内紛は続き、中山競馬倶楽部は競馬を開催できない異常事態に陥った。
 『中山競馬場70年史』(編/中山競馬場70年史編集委員会)に、「増田信一氏等は千葉県東葛飾郡行徳町地先塩田跡に競馬場を建設」という記載がある。

 下の図は、左側が1932(昭和7)年頃、右側が現在の市川市内の地図。 

左は1932(昭和7)年頃の中山競馬場周辺と行徳塩田跡(今昔マップより、一部改変)

 左の地図で、上のほうで赤で囲っているのが中山競馬場で、下のほうは塩田の周辺。地図記号により、塩田は市川市原木の湾岸市川インターチェンジ付近にあったと考えられる。
 そのため、下のほうで赤で囲っている地域に、行徳競馬場が建設されていたと推測。周囲は田んぼと海。そんな土地にポツンと建物群があったことが、地図では示されている。

 1926(大正15)年、肥田金一郎氏が中山競馬倶楽部の常務理事に就任し、中山競馬場を中山から現在地への移転を決定。
 1927(昭和2)年に出来上がった中山競馬場は、戦時中の1944(昭和19)年に閉鎖され、軍の施設などを置かれる。戦後、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) に接収された後で、1946(昭和21)年に日本競馬会(1937年に中山競馬倶楽部を統合)へと返還され、今の中山競馬場がある。

参考資料

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